自棄にならないほうが旅はいい

自棄になった人が大人しく帰路につく時、どんな顔をしているんだろう。



某年、春前のこと。
会社終わりに、どこでもいいのでどこか行こう、となった。旅行というより徘徊だ。

どうにでもなれ、と思っていた。

しかしだいたい、どうにでもなりたいときほど、ただの近所の散歩より質素なひとり旅に始まって、とくに盛り上がるものもなく終わる。
東京にもあるチェーン喫茶でひと息し、横浜にもあるチェーン牛丼店で大盛りをかっ喰らい、埼玉にもあるコンビニで夜食やら菓子やらを買い込み、千葉にもあるビジネスホテルのベッドですやすや眠る、のを意味もなく大阪でやる感じ。


気力がないわりに衝動は一丁前の時に限って、開拓する勇気はないがハムスターのカラカラみたいにとりあえず動く。なによりインスタントな安心感が欲しいから、なんとまあ名産品が咽び泣くような安っぽいチェーンに温もりを感じたりする。



で。退勤後。
衝動ばっかで結局は無策。
行く先が決まっていない。
が、何処かに行きたい。
いや、何処かへ行かねばならない。
(現実逃避の常套句は「ねばならない」と強迫系に言い換えることだ)


特急列車の切符を握り閉め、怪しげなベージュ色した列車の、無数にも思える個室の一室に乗り込んだ。
入ると、敷かれたマットレスと大きな窓があった。プラットホーム丸見えの窓にカーテンを仕切ったところで、東京駅を滑らかに発ったのは、22時ちょうど。


サンライズ瀬戸号が走り出す。
切符は姫路まで。
そこから先はまったく何も。
もうなんでもいい。
と言う奴とは思えない量の菓子を買い込んではいる。




時は流れて、早朝の姫路。
ものの見事に一睡もできず、フテた面して下車をする男がひとり。
降り立った姫路駅からは白鷺城が見えたような見えないような。見たような見もしなかったような。「俺はいったい何をしてんだろう」の後悔しかなかったような。



朝陽も昇らない。
もっと言うと、雨降りしきる姫路駅。
これからどうしよう。完徹で、身体が芯から冷えている。



身体を温めることにした。
スーパー銭湯だ。
もうなんでもいい、はどうしたんだ。



関西といえば私鉄だろう、ということで、たいそう立派なJRの姫路駅から少し歩き、エスカレーターを登った先には、これまた対照的な、昭和の風情溢れる山陽電鉄・姫路駅。そこから梅田への速達便に乗り、ひとまず、大阪を目指すことにした。

早朝の姫路始発は人もまばらで、特急列車のように進行方向に並ぶ座席は選び放題。座ると思いの外柔らかく、心地よい感触に包まれていく。


姫路を出ると間もなく軽快に走り出し、住宅街の一軒ごとが矢のように過ぎていく。遠く明石の海には、雲間からくぐもった光が垣間見えた。
ああ、気持ちがいいな。

一旦目を瞑った。
今、自分がここにいる実感はないけれど。
ここにわざわざ来る必要性もないし、満足感というよりはお金を無駄にしてしまった後悔が覆うけど。
いや、それすら包み込むような朝焼け、瞼の裏に透過する乳白色のやわい日差しが、温かく迎入れてくれるような……。



目が覚めたら、魚崎だという。
神戸も三宮も過ぎていた。
寝ていたのだ。爆睡。
起きて下車して、雨粒の音が歓迎してくれた。
そうだ。雨降ってた。朝焼けとかは夢の話だ。
夢を見るほど寝てたのか。


スーパー銭湯に行く。
幸い、魚崎にはいい感じの施設があるらしい。
しかも、この時間から開いているそうだ。


行くかあ。
俺、何やってんだろう。
いや、行こう。
ひとまず風呂だ。



浴室内は、おじさんたちがわりかし多めだった。
そこで、関西で地元密着風の銭湯に入るのは初めてだと気づく。気づくのはいつも何テンポか遅いよな、と心の中で苦笑いするが、湯気のもとではどうでもよく感じた。
もちろん、会話はみな関西弁。新鮮でたまらない。
あと、水風呂に入る時、老いも若きもみなよく唸るのも、センセーショナルですらあった。


そして、ここでの衝撃は、なによりサウナだ。
それも、塩サウナ。
塩を身体に塗ったくるんです、と説明には書いてあり、なにぶん初めてなので、正気か、と思った。


恐る恐る入室する。
ムワッとした湿気が全身を覆う。なんとも地中海風のオリエンタルなタイル状の部屋の真ん中には、本当に塩がある。よく台所に上白糖と一緒に置いてあるあの類みたいだ、と真っ先に思い浮かべて、より及び腰になった。
ひとまずチロチロと肌に塗ってみたが、罪悪感が凄い。なにせ第一印象が台所の引き出しにある食塩だ。調味料を無駄にしている気がしてぞわぞわした。


そんなところで、ひとりのおじさんが入室。芸術的なまでのガニ股だ。
彼は両手にこんもりと塩を盛り、全身に擦り付けるようにして塗ったくった。塗るというより、漬物を彷彿とさせる染み込ませ方だっだ。


ひと通り済ませたおじさんは、満足したのかすぐに出て、そばのシャワーで洗い流した。

ぱたん、と閉まるドア。
再び充満する蒸気。
思わず立ち上がり、掌をお椀型にして塩に向かっていた。




これが私の塩サウナデビューだった。
本当に勿体ないお金の使い方をしてしまったな、と、今でも相当後悔している。


得られたのは魚崎のスーパー銭湯の塩サウナの素晴らしさだけだった。そんなの戸田でも和光でも坂戸でも知れたじゃないか。
結局、このまままっすぐ東京に帰って、布団にくるまり何をしているんだと少し泣いたが、そんな中でも肌はすこぶるツルツルだった。



もう一回思う。
自棄になった人が大人しく帰路につく時、どんな顔をしているんだろう。
でも、何処かに行くなら、楽しく過ごした方がよっぽどいいのは確かだな。