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都市の暮らしに慣れていると、ふと訪れた大自然の圧倒的なパワーと経年の贅沢さ、豊かさにまったく打ちひしがれる。自分が生きてきた年月はもちろんのこと、その親の代の更に親の、その更の奥の奥の奥……一本の糸を過去へ過去へ手繰り寄せる作業を一向に繰り返そうとも、青々と茂る緑、渓谷に転がる巨石、朽ちた樹の幹、山からのわずかな湧水がいつからか急流を生み、やがて母なる海へと注ぐにいたるダイナミックなその俯瞰図……そのどれを取っても、及ばない。それらの一生を共にした者はひとりとして存在しない。われわれは、ただ一瞬の、まばたき一つの瞬間の生を立ち会ったに過ぎないのだ。
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仕事帰りの電車は混雑していた。
優先席の前のほか立つところがなく、つり革に捕まり立っていた。とても疲れていて、優先席でもいいから座れたらよかったが、その隙はなく、ここから先もっと人が乗り込んでくる……覚悟して、耐え忍ぶことにした。
と、その時、
「どうぞ」
と声が。目を開けると、目の前に若い女性が立ち上がっていた。
ん?俺に?
何があったか分からないうち、笑顔でサッと脇に移った。
えっ?
席、譲ってくれた??
「えっ、いやいや、大丈夫ですよ」
と頭を振るも、もうそこは決まったようなもので、ペコペコと頭を下げ座席に身を預ける。顔を上げると、女性はもうそこにはおらず、数席離れた場所に移って、スマホ画面を食い入るように見つめていた。
席を譲られたのは生まれて初めてだ。
ヘルプマークは付けていないし、ハッキリと譲られる立場と分かるものはなにもないはず……。
なぜ席を譲ってくれたんだろう。
それほど参ってる表情していたのかな。
でもたしかに、堪えるように目を閉じて口は真一文字、目を開けたかと思えば窓に映る自分の顔はいい具合に死んでいた。仕上がりは上々だった。
でもしかしそれは、けっこういつもそんな感じだ。
そして、これが理由で車内で配慮されたことは一度もなかった。
あの人、自分のどんなところで「気づいた」んだろうか。
でもやっぱり、本当に助かったし、なんと有り難いことだろう……。
下車するタイミングで、女性に感謝を伝えた。一瞬口角を上げ、いえいえ、と。すぐに真顔に戻りスマホの画面に目を伏せた。
下車して、エスカレーターを上っているうち、もしかしたらあの人も、自分と似たような要素があったのかもしれないな、と思った。
でも、そんな邪推は野暮だ。人の善意に助けられたことが全てなのだ。
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大阪が「都市の生活」なら東京はつくづく豚小屋だ。
朝も夕もラッシュ時は戦闘モードだ。もみくちゃの大混雑をいいことに、タックルなり押し出しなり皆やりたい放題だ。
たとえば昨晩の日常。
ギュウギュウの山手線。新宿に到着。開くドアの前にピクリともせず仁王立ちでスマホを睨み続ける女を、数名がタックルしホームへと押し出そうとする。女も負けじとドアの横サイドに回り込まんと水流に逆らうも、サイドはサイドで下車する人の群れである、ゴミのような抵抗と苦虫を噛み潰したようなツラもろとも、ブルドーザーのごとくホームへと押し出されていった。
そうそう、これよ、これが東京だわ。怒りに交じって少し、しめた、少し殺せる、と思ってるその感じ。
「少しやっちまいたい」関連でいうと、歩きスマホをする奴の多いこと多いこと。
奴らはとにかく歩みが遅い。ひたすらに、のっそりゆっくり。通路も、階段の上り下りも、後ろがいかに詰まっていようとお構いなし。自分の思う通りにゆっくり歩いて、自分の意思の通りにきわめてまっすぐ歩いてると思えば、思わぬところで急に曲がる。当然、周囲はぶつからぬよう歩きスマホを避けていく。本人は知ってか知らずか、変わらずスマホから画面を離さず進んでいく。
この自己中心的な思考はどこから来るのだろう。なんにも感じないのだろうか?良心とか、迷惑とか、そういう発想はないのだろうか?「歩くスマホ」たちは現状の自身になんとも思わないのだろうか。気づきもしないのだろうか。いや、虚しいからこそのめり込むのかもしれない。気づいているが、俯瞰図を描写するにはあまりにも手に負えなくなって、ひとまず逃げ込むゴミ箱がスマホなのかもしれない。
すべて自分の意志で選び取ったものだと認識しているものは実のところ社会的に「選ばされた」ものである、という解釈は社会学でよく言われる物差しだ。その視点でいうと、もし自分の興味の範囲や、好みや価値観の判定基準がすべてかれらのスマホ画面の内に閉じ込められていて、レコメンドされるがままに選択したものの蓄積であるならば、もはやかれらは……いや、スマホを「活用」しているわれわれは、もはやスマホから無数に伸びる電極が全身に埋め込まれたデータベース源に過ぎないのかもしれない。
いや、そもそも、こんななんてことない人間から、何を抜き取る情報があるだろうか?
怒りは金になりますね?
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なんの抵抗かはわからんが、なにかの抵抗のわかりやすいものとして、会社では、挨拶を欠かさないようにしている。
出社や退勤のときフリーアドレスの向かいの社員に挨拶をする。おはようございます、とか、お先に失礼します、とか。そうすると、だいたいの人が返してくれる。廊下ですれ違う際にも、お疲れ様です、と会釈する。だいたいの人は、会釈を返してくれる。
勤め先は入れ替わりが激しく、毎月のように入社と退社とが交差する。昨日までの当たり前が明日も通るとは限らず、その都度新しいルールや人事に順応することが求められている。オフィスには、知ってる人より知らない人のほうが多い。知らない人が知らないままいなくなっていることも気づかないだろう。次から次へと新しい業務が舞い込む。とにかく対応し、書類を作成していく。
挨拶だけは昨日も今日も明日も継続しておこう、と決めている。知らない人たちに向けて挨拶をするのは怖さがある。当然、快く思う人も面倒に思う人もいるだろう。こちらの体調によってはもうやめたくなる時もあるし、まあ今日はいいかな、と頭をよぎることもたくさんある。
しかし、いいことはたくさんある。
まず、声を掛けることで、相手は少しだけ「人」になる。朝のターミナルの群衆のうち落とし物をした人に声を掛けたとき、ハッキリと生きた人間が目を覚まして応答してくれたような感覚と同じものがある。
それから、相手も自分を覚えてくれる。少なくとも、「知らない社員」から「人」に、「人」から「〇〇君」に、少しずつ人間の輪郭と温度を感じ取ってくれている、ような気がする。
ぜんぶ気のせいかもしれない。
でも、気のせいがこの世だと思えば、そうだ。
幸い、かろうじて挨拶は今日まで続けている。
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夏の冷えた風が吹いた。
買いたての帽子が浮きかける。離れぬよう右手で押さえる。
少しの間を置いて、遠く後ろの雑木林が黒くざわめくのを背中で受け止めた。
追って雨の匂いがして、見上げればまだ月がある。
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あの政党に票を投じるのは、どんな人たちなのだろう。もし、歩きスマホたちに仮に選挙に行く発想がまだ残っているならば、いいカモとなるのだろう。それでいて、あの政党は架空の憎悪を片っ端から呑み込み膨張するようにして、議席を得ていくだろう。そして遂には障害者雇用の俺から食い扶持を奪って大団円。風が吹いて誰が儲かるってんだ。
悪魔との契約は腹を決めるまでもなく、スマホ画面の世界を凝視しながらのその一歩で交わされ、二歩目で膨張され、三歩目で遂行される。かのナチス・ドイツはホロコースト等のジェノサイド施策であればあるほど、細かな分業制を敷いたらしい。たとえば、人員の報告、貨車の数、トラックの担当決め、薪の確保……誰もが「それだけの業務」だけを反復していれば、この小川がいったいどこに注がれゆくのか想像するのが面倒になる。隣の部署が何をしていようが、この業務がいったい何を意味しているのか、我々の業務をつなぎ合わせると、何が達成するのか──。俯瞰図を描こうとすればするほど、その工数に対する見返りのなさを想像し、やめる。しかし着実に「業務」は遂行される。進捗は良好、つつがなく進む。
この街には人間があった。かれらを滞りなく、かの地へ輸送する。かの地にてラベリングを施す。ラベリングごとの小屋へ送る。小屋の飯は白湯か粥のような粗末なものとし、囚人たちに割り当てる業務をつくり、運用させる。その傍らで、煙突から煙が上る。果てしのない鼠色の空に、白い煙が上る。昨日もそう、また今日も、明日もそう、きっと同じことだろう。
煙が上る。遠く上る。鼠色の空に同化して消えていく。この空の東あたりには、故郷の街があるはずだ。われわれはいずれ煙となって、空っぽになった街のある無人の朝をやさしく包みこむだろう。これを希望として、今日も鍬を持ち、スコップで凍った土を穿つ。
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応援しているチームの野球中継がやっていた。
首位に立ち向かう一生懸命の小兵たち、劣勢ギリギリで逆転し、そのままゲームセットまで逃げ切った。やった!なんとか守りきった。みんなえらい、ありがとう。
喜びも束の間、ヒーローインタビューの時間だ。今日は打者で二人呼ばれた。
一人目。簡易的な小上がりのステージに呼ばれた期待の若手は、登壇の時点から目が赤くなっていた。
たしかに今日は大事な一戦だった。
首位相手の試合でもあるが、ここで負けるとズルズル落ちていってしまうかもしれない……そんな予感を漂わせていたチーム状態でもあった。
だからこそ、彼は万感の想いを抱いていたのかもしれない……。
しかしながら、受け応えがどうも、力がない。こう、つかみどころのないというか、心ここにあらずな感がある。時折、声の詰まる瞬間もあるが、努めて平静を装っている。
どうしたんだろう。
「最後に、スタンドで応援してくれたファンの方々に、一言、お願いします!」
アナウンサーが威勢良くパスを送る。が、彼はまた声に詰まり、遂には真っ赤な目から涙が溢れ出す……。
「実は……私事ですが、飼っていた犬が昨晩事故で亡くなりまして……」
「まだ十ヶ月にも満たない命なのに、この世を去ってしまって……」
「……でも、きっと……犬の名前エルモっていうんですけど、エルモは僕の傍で一緒に戦ってくれていたと思って、今はもうこの世にいないエルモに勝利を届けられたのは、すごくよかったと思います」
涙声に大粒の涙で話す若手のホープに、観客から「頑張れー!」「見守ってるぞー!」「エルモー!」と、様々に声がかかる。
彼の声がもはやたどたどしくなってしまいながらも話を続ける。
「命があることは、当たり前なことじゃないんだって思って、命に感謝しながら……これからも生きていきたいと思います。……応援、よろしくお願いします…!」
もともと応援していた選手だが、それを差し引いたとしても、こんな想いになったヒーローインタビューはなかった。
なぜだろう、これほどに哀しみが前面にあるのに、たとえたどたどしくも自身の言葉で伝えようとする彼の実直で素直な姿勢と、その祈りに似た優しさにはどうして心の霧を一気に清涼させる何かがあって、強く揺さぶられてしまう。
もうひとりのインタビューは申し訳なくも気が付いたら終わっていて、グラウンドを一周しファンに手を振る二人の姿があった。もうひとりのヒーローが、愛犬を亡くした選手の肩に触れ、俯きがちな彼を優しく励ましていた。
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世話になっておいて「豚小屋」と決めてかかる恩知らず、首都を脱出。……なんてずいぶん格好つけたが、その実ただの旅行だ。それも、水曜夜出発することで有給休暇を二日に節約することに成功した四泊五日のせせこましい旅程だ。
破天荒なんて自分に無理無理、かといって慎ましいかと言われればガチャガチャしていて向こう見ずな三十代で、十八歳ほどのまだまだ子ども、のまま冷凍保存されてここまできた気がする。
まずは日本に現存する唯一にしておそらく最後の定期夜行列車、サンライズ出雲に乗って、西へ向かう。人生二度目のサンライズ。目指すは広島。だがサンライズは岡山の西隣、倉敷から進行を北へ向け山陰に向かう。倉敷までの切符を買った。ギリギリまで乗ってやるぞ。
夜に包まれた東京駅に、巨体がのっそり入線する。その姿はクジラか、いや、シーラカンスか、いや………やっぱり君は唯一無二のサンライズ号だ。「ブルートレイン」時代には斬新な、明け方のスモーキーな朝陽の気配をした飴色の車体が怪しくホームを占領する。ところどころで修復の跡。同期のカシオペアは今年引退。
君にまた会えるのを楽しみに、今日まで仕事を頑張ったよ。一ヶ月前に目黒駅のみどりの窓口で発券して、毎日眺めて目をキラキラさせていたよ。
そんな童心気分の俺の後ろで、本物の子どもの泣いている声がした。泣いている声というか、ギャン泣きだ。しかも、そのセリフがすごい。
「いやだぁ、いやだー!サンライズいやだ、のりたくないー!!サンライズこわいーー」
嘘だろ!?夜には東京の夜景が、朝には田園の朝が窓に広がる愛の化身サンライズだぞ??
そこには、まるでお化け屋敷と同列扱いで怯えて大粒の涙を流している小さな女の子が……。
びっくりしていると、隣にいたお母さんが事情を説明してくれた。
物心ついてはじめて乗ったサンライズが、途中でボヤ騒ぎがあって関ヶ原のあたりで運転打ち切りになってしまったらしい。たしかに何週間か前にモーターから火が出て止まった、とのニュースが、「そろそろ寿命か……」との鉄道ファンの嘆きのツイートとともに駆け巡っていた。その列車にこの子は乗ってしまったらしい。
それは、怖かったことだろう。思わず声をかけた。
「大丈夫だよ、今回は絶対ちゃんと走ってくれるよ」
根拠はない。根拠ゼロというかマイナスで、モーターが焼けるという特殊な事情を抜きにしても、先の路線が人身事故で止まったり、大雨にやられたり、倒木に見舞われたりしたら、たとえそれが山陰起こったことでも、熱海や静岡で打ち切りになることはよくあるのだ。むしろ通常の通勤ダイヤに支障を来さぬよう、サンライズは優先的に取りやめてしまうのだ。
女の子は大粒の涙を零し続けて泣いている。そら説得力ないよね。お母さんも「そうそう、大丈夫大丈夫、こわくないよ」と宥めるも、一分の一でそんな出来事に見舞われたら覆すことなんてできないだろう……。
ドアが開く。自分の部屋に向かう。二階建てで、上下階には狭い階段を上る。ほとんどの乗客は大荷物で、重たいキャリーケースを引きずってせっせと下りていく。製造時の時代背景的にまだバリアフリー思想が古く、その点でもサンライズは劣勢に立たされている。母娘は隣の部屋に入っていった。
お母さんは子どもと一緒に持って行くにはあまりに大荷物で、いったん、女の子を部屋に置いてまたホームへ戻っていく。女の子の大泣きが聞こえてくる。
居ても立ってもいられず、隣へ行った。
「大丈夫大丈夫、ベッドもあって、窓も広くて、とっても素敵な旅になるよ」
女の子はまだまだフル出力で泣いている。仕方ないとはいえ、忌まわしき巨大なモンスター・サンライズの車内でおさな子ひとりで待っているのは心細いだろう。どうしよう……なるべく同じ目線になろう、としゃがんだところ、女の子の提げているカバンに目が留まる。
サンリオのキャラクターだ。キティちゃんもいる。シナモロールも、ポチャッコも、けろけろけろっぴもタキシードサムもいる。オールスター勢ぞろいだ。
これだ。
「あっ、キティちゃんたちだ!!かわいい〜〜みんないるじゃん!!」
一瞬、女の子の目がバッグに行く。続け!
「君はどのキャラクターが好きなの?」
しゃくりあげながらも、指はしっかりとキティちゃんを指さす。
「キティちゃんなんだ〜〜、じゃあ、キティちゃんと一緒に旅できるんだね、よかったね!」
しゃくりあげながらも、コクリと頷く。いけるいける!!
「きっとキティちゃんは優しくて強いから、ちゃんと君を守ってくれるよ!!安全に終点まで一緒にいてくれるよ、大丈夫!!」
女の子、コクリコクリと何度も頷く。涙の勢いも落ち着いてきた……!
そんなタイミングで、身体と同じ大きさはありそうな荷物を引っ提げお母さんがカムバック!よかったよかった、ここでバトンタッチ。
お母さんから、「本当にありがとうございました」と、ゴディバのチョコクッキーを2個、頂いた。
自室に戻り荷物を整え、外からサンライズを撮ろうとホームに出ると、隣室の窓にくっついて外の様子に目をキラキラさせているあの女の子の姿があった。
旅、始まったばかりだけど、旅の目的が果たされたみたいな気持ちだ。
ゴディバのチョコクッキーを食べながら、動き出したサンライズの車窓をゆっくり眺めることにした。
帰宅ラッシュに沸く人波を横に、まだ煌々と灯るオフィスビル群をすり抜けて、東京を抜け出す。
まどろみのひととき。
この瞬間を待ってたんだ。
その瞬間、急ブレーキが。
おおお、と前につんのめりながら、停止したサンライズは十分ほどそのまま。
「車内で非常停止ボタンが押されたため、いったん運行を停止しております」
ええええ!まだ多摩川も渡ってないのですが!!
キティお前仕事しろ!!!
思わず苦笑い。女の子の泣き声は聞こえてこなかったので、たぶん大丈夫かな…??
……どうやら誤作動だったようで、非常停止騒ぎはこの一件のみで、その後は無事に走り抜けてくれた。
ちゃんと、「故障ではございませんので、ご安心ください」と添えて。
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テトラポットが意外と背が高く、地面のゴミが遥か下に見えた。足を踏み外したら、終わりだな。軽はずみに来た海辺は自分のほか誰もない。テトラポットから砂浜に着地する。砂浜……か?これ、ほとんど石じゃん。どれも丸くツルツルの小石で、歩くたびに足のバランスをゴツゴツに乱していく。いい感じのコンクリートの出っ張りに腰を下ろして、リュックを横に置く。真っ黒なリュックは、遮るもののない灼熱の太陽を当然にマッハで受け止める。日陰はないか!?日陰はないな!仕方がないので、生温かいリュックを赤子のように抱き抱える。
海を見るたびに、さざなみはこんなに大きな音なんだ、と驚く。想像上の波間はもっと心地よく、ちょうど小豆を箱の中で右に左に傾ける程度の邪魔のなさでいるのだが、現実はまったく騒々しい。けれどもなぜだか圧倒的な説得力があって、この騒々しさが不思議と心を落ち着かせる。波が引いては満ちる。満ちてはサーと引き、波を手繰りよせて、また押し寄せる。
今ここに漂着した波はどこから来たのか、源流はどの川の水か、どの雲から降り出した雨で、どの山の森を潤したか。想像しようにも不可能だし、月日を考えても、自分の人生など砂の一粒にも及ばないほど悠久の時を経たのだろう。その悠久の一瞬が、今この眼前に広がっている。
波は息つく暇なく、次から次へと波が押し寄せる。
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