ねだり損ねた話(3,4歳ver.)

10年前を思い出そうとするのは難しいが、20年前だったら、かろうじて引き出しからチラホラとした記憶が収納されている。

今日、何年ぶりかに取り出した、いや…ついぞ忘れてしまっていた、埃まみれの幼い記憶の話。




生まれたのは千葉県船橋市
すぐさま親の社宅がある東京都練馬区へ。
2年間、父の転勤にゾロゾロついてって京都市左京区に住んだのを除けば、私はかれこれ27,8年、練馬区で育ち暮らしている。


練馬区民にとってのターミナルは、若者のメッカ・渋谷でも、繁華街とオフィスビルのギラギラ圧縮袋・新宿でもなかった。少々バタくさく、ちょっと足を伸ばせば静かな住宅街の広がる、池袋だ。生まれた日から今日に至るまで、私たちのターミナルは池袋だ。パルコもルミネもサンシャインシティビックカメラ雑司ヶ谷霊園もある。生きてるうちになんでも揃う街、それが池袋だ。



この街の駅を両サイドから挟み込むようにして君臨するのが、東の西武百貨店と、西の東武百貨店だ。この街の門番よろしく、百貨店のハイソサエティな佇まいと、商店街の肉屋のような庶民感を併存させている、三越伊勢丹高島屋やらでは見られない、池袋らしい両翼だ。母は、とりわけ庶民色の濃い東武百貨店を好んで利用していた。なにかご機嫌な出来事があれば、まだアメーバ状で安定しない3歳か4歳の頃の私を連れて、地下にあった御座候を買って帰路につくのがお決まりだった。今も、御座候はあるのだろうか?スペースの隅にあったエスカレーターの横に、狭っぽく構えていたが、行列ができていたのを覚えている。



でも、まだ輪郭もフニャフニャな幼な子にとっては、まだ御座候の滋味深い餡子と皮のハーモニーは分からなかった。クッチャクッチャクッチャクッチャと食したり食さなかったりしていた。欲しいな、と思っていたのは、その隣のお店にあった。
甘い匂いがするけど、わざとらしくない。照明がキラキラしている。ちょっとした冷気すら甘そうだ。コーンかカップか、選べるというではないか(もちろんコーン)。ショーケースの中には、彩度豊かなものが所狭しと並んでいる……



そう。ジェラート屋さんだ。
何という名前だったろう。忘れてしまった。あまり適当なことは言えないが、ホブソンズとかじゃなかったっけ?
とにかく、なんでもいいから、食べてみたかった。パン屋のトング大のスプーンの滑らせ具合を見ると、カッチカチというわけでもなさそうだ。むしろ、掬った跡さえクリーミー。欲しいなあ欲しいなあ、ともじもじしながら、母の手を握ったまんま、すぐ横のエスカレーターに乗って西武線で帰って行った。
結局、一度も食べられなかったのか、一度食べて満足したっきり、もうねだらなかったのかまでは、忘れた。




同じような「もじもじ」は、京都に2年間暮らしていた頃にもあった。幼稚園児。アメーバ状から塑像くらいには成長した頃だ。
まあ、それは、また今度にします。