2022/02/01 無題

夜になると気分が沈むのは、ごく当たり前のことだ。
夜に月が揺れるとき、人の心は膨張する。
喜びも、悲しみも、怒りも、無力感も。
怠惰で肥え切った身体のように、際限なしに心が膨れ上がっていくものだという。
誰が言ったか知らないが、言われてみればたしかにそうだ。


夢に、亡くなった友人が現れた。
私たちは、郊外のファミレスにいた。
よく知っている、宮原駅東口から中山道沿いに歩くと見えてくるサイゼリヤだ。
ここで、私は友人に説教をする。
「なんで死のうとしたんだよ、死ぬこたないだろう」
友人は、ある晩酒に酔った勢いで「俺は死ぬんだ」と周囲に言いまくっては潰れたらしい。普段から不安定になることはあるが、私はなんの根拠もないが「彼は死なないだろう」と信じていたのもあり、ちょっとした話題に沿った口ぶりで話を振ったのだ。そんな調子に波長を合わせるようにして、
「いやー、だって、そんな気持ちになることだってあるだろうー」
と、ビールを口に運んでいた。
お前は見栄っ張りなんだよ。
格好つけて、年恰好に身の丈に合わないものを買ったり着飾ったりしてるけどさー。
しょうがないじゃん、あるんだもん。
なにがー。
ネクタイが。あるなら買うよー。
「本当、しょうがないよねー」と、なんでも良くなって、こっちもビールを流し入れた。


目が覚めてから、しばらく、まだ彼が生きている気がしていた。家を出て、会社に着き、仕事をし、昼休みも、夕方も、退勤して帰路につくあいだも、だ。ずっと、彼が当たり前に生きている気がしていた。
しかし、彼はどこにもいない。
この世にとって、究極に誰も知り得ない場所に行ったのだ。


彼とは、説教なんてすることなく、くだらないことを喋りたい。結論が見えなくて、ただ球を転がして遊んでいるような会話を何時間でもしたい。
または、若くてしょうもない語り合いがしたい。将来のことやこの社会の諸問題を語る数秒後にはM-1グランプリの感想を述べ合って「次は金属バットが」とか予言していたい。
しかし、私のこの希望は二度と叶うことはない。
彼はどこにもいない。
誰も知り得ない場所に行ったまま、そこにいるのか、別の場所に移動したのか、もう消えてしまったのか、誰も知り得ない。


知っているのは、彼が究極的にいないことのみだが、彼はいないけれど、彼の「不在」だけは感じられる。ふと、素知らぬ顔で夢に現れ、素知らぬ顔で喋っている。
そういったことを、ふと受け止めている。