譲り合う精神


電車に乗っていたら、だんだんと車内に人が増えてきて、しかし座席は埋まるかそうでないかを行ったり来たりしていて、次の瞬間には判断しかねないから、無難に座らず立っておこう、と決めた乗客も増してきた。

そこに、新入社員風の女性の3人組が乗車してきた。目の前に空いている座席は2つ。どうやって座るのか、または座らないのかを少し眺めていたら、まずは譲り合いがはじまって、それからじゃんけんへと移り、第2回戦を経たのち、2つの座席が埋まったのだった。それだけで1分以上かかっていたのだけれど、おそらく社会ではそういった時間の消費こそ重要であり、欠かせないものであり、その1分を怠れば、その何倍も心がヒリヒリする時間を送らなければならないのだろう。

譲り合いタイムの3人の笑顔を見て、この笑顔、私にできるだろうか、と、「人間の進化」という大それた土俵に立ってひどく驚いた。きっと学生のころには表さなくてよかったであろう笑顔で、どうでも良いような時間に使う笑顔なのにもかかわらず、ぴくりとも引きつっていない笑みだったが、社会に出れば、そういった笑顔こそが求められ、または習得すべきアイテムなのだろうか。


すごいな、でも、恐ろしいな、と思った。がしかし、それより前に、私もそういった笑顔を習得したいと感じた。強めに彼女たちを憧れたし、私の無防備な領域を守るために隙のなさを手に入れたくなった。