『サンシャワー 東南アジアの現代美術展』にいってきました

ただいま、国立新美術館からの帰り道だけれど、んんん……残像が強い、どこまでも頭に残っている。

『サンシャワー展』は、東南アジアの歴史と民族の自己意識に絡んだ展示が主なものだ。でも、民族単位よりも、鑑賞者がより小さく眼差したときに、見方はガッと変わる。ハッと気付くのは、民族や国の特有な歴史と、私そのもの、人間ひとりひとりとを区別するものは、やはりなにもなくて、人間に在る悲痛な叫び、狭まる生き方への抵抗、商品化される内面と身体への虚脱、それらの、「蓋をしてやり過ごしたもの」たちが勢いよく飛び出している展示がはじめから終わりまで続くのだ。『サンシャワー展』は、そういった、直接的でハードな展示だった。

あまりにも直接的な展示には、くらくらと頭が回ってしまうので身構えるが、完膚なきまでに打ちのめされるのも良いな。またそういった、複雑な「良い」を味わえる立場というものを、発言ひとつひとつに感ずるようになるのだ。

ああ!よろしく疲れた!