2018/04/30

 今朝目覚めてすぐに予感した。
 今日は、苛立ちの虫が猛威をふるうだろう。
 それは、出勤時の、ちょうどいいタイミングで放送されるテレビの天気予報で、東京は晴れ、最高気温は24℃、対して千葉はくもり、最高気温は少し下がり……と、気象予報士が正確な予報を伝えるようなもの。今朝、私の頭のなかでは、よほどのプライドをひっさげていそうな情緒予報士が、時を刻むように正確に、順々に、私の2018年04月30日の情緒予報を知らせていた。
 それによると、今日は、時折、ピリッと苛立つでしょう、とのこと。
 ちなみに、苛立ちの虫が元気なときは、仕方がないので、遠くでも眺めていましょう、だそうです。

 案の定、予報はあたった。
 ふとしたタイミング。そう、苛立つ瞬間は、だれだってふとしたタイミングだ。しかしことあるごとに……ではないのが、また難しい。ふだんなら流せるところを、3回に1度のペースで、からい山椒みたいな刺激でスイッチが入り、どこからともなく、わらわらと、苛立ちの虫たちが頭のなかにやってくる。そうなると、なにかを言いたくなるし、キッとした強い目線を送りたくなるし、落ち着きもなくなるし……。
 そのとき、情緒予報を思い出した。遠くでも眺めていましょう。遠くでも眺めるか、ドライフルーツでもハムハム食べていましょう(それは今付け足したやつ)。ああ、もう、そうしよう。と、ちょうど外にいたので、頭上の青空を眺めてみた。青々と茂った木々の、風の調子に合わせてしなる緑を観察した。2つ先の信号機の青色赤色の調子を見守った。マンゴーのドライフルーツをハムハム食したりもした。
 結果としては、そんなに変わるものでもない。なんだい、宛てにならないじゃんか。なにが情緒予報だ。信じた私がばかだった(信じた先にも私がいるんだけど)。

 

 苛立ったあとが、たいへんだ。
 たいてい、悲しみがせりあがるのだ。
「こんなことで、ツンツンと苛ついて、私の許容量はなんて少ないのか!」
「おんなじことでおんなじ反応をして、私の学習能力はどうなってるんだ!」
「あと、苛立ったあとの悲しみって、それこそ何度繰り返してるんだ!」
 ……とかなんとか、責め立ててしまって楽しい気分になるマゾはいるわけがなく、私はどんどんと、身体が小さくなっていくような気になっていった。



 私の今日は、苛立ちの虫に邪魔された。ああ、かってに疲れたなあ。
 しかしかれらの主張は、たいてい正しくて、さらには優しく誠実なときがあるのを、私はちゃんと知っている。たとえば、私がすべき課題から逃げて、どこか街をブラブラしていたときなんて、苛立ちの虫の攻撃のさまは悍ましいものだった。本当に心の底から辛い気持ちにさせるほど、イライラして腹が立ってしかたがなく、つまり、私が不誠実なことをすると、かれらはちゃんと警告をするのだ(それを自分自身に向けた苛立ちなのだ、と気付いたのはずっとずっと先のことになるわけなので、当時の私はわけもなくイガイガとしていたものの)。
 だから、苛立ちの虫の大発生なるものは、きっとそれなりの理由があるのだろう。そうでなければ、私を侵食しないはず。
 と思って、と思うことにして。
 今日は、ああ、もう、しかたないか。
 ゆっくり休んで、そう、ゆっくり休めば、少しは疲れがとれるだろう。