別れの曲なんて聴くものではない(聴く)

深夜ラジオを聴いていたら、くるりの新曲が流れてきた。あれ、くるりって、シングルかアルバムか出すんだっけ?好きなミュージシャンなのに、最近のことをまったくさらっていなかった。中か低温度のファンなのがちょうどよくて、でもさすがにこの低温度はいただけないな、と省みつつ、すぐにググって、ライブDVDの特典シングルであることを知った。


にしても、にしてもだ。とても哀しい曲じゃあないか。なにが哀しいって、人との別れの曲に思えたからだ。聴き終えて、ほかのくるりを漁る。まず、「Liberty & Gravity」、次いで「琥珀色の街、上海蟹の朝」、そして「Remember me」と選曲。3曲聴き終わった、その瞬間に、いよいよムズムズと身悶えるような綺麗な哀しさに拍車がかかる。

なんだよ、どれも別れの曲じゃあないか!そんな曲ばっかり聴くなし!あとそんな曲ばっかり沁みるようなミュージシャンになんなし!!……なんて言っても私の勝手だから仕方がなくて、そもそもそんな曲を積極的に選んだのは私で、またはやけに沁みる情緒の状態なのかもしれないし、それとも季節が下って寒くなることが影響しているのかもしれないし、ほかの要因があるならあるで、やっぱり仕方のないことだ。


別れの曲を聴いて、その綺麗さにムズムズ身悶えたい。悶絶しながら疑いたい。歌う側だって聴く私だって、「遠くに行っても見守っているよ」「離れていても、貴方が幸せならそれがいいよ」なんて言葉に悶絶しながら、果たして本気でそう思えるのだろうか。

いざどこかの歌詞をなぞる場面に立って、私は潔くそんなことを思えないだろう。きっとすがりにすがって、いろんな記憶を泥で上塗りしてしまって、汚し尽くしてようやく茫然としたまま、別れを受け容れざるをえないことになる。でも、そのあとに、ときどきはどこかの歌詞のような想い、「離れていても幸せならOKです」のようなことを気まぐれにスイッチオンすることもあるかもしれない。そのぶん、倍以上は泥のような思考がスイッチオンすることもあるかもしれないし。

なんか、それだな。2割くらいの割合で歌詞モードに入れば、及第点、といえたらいい。だけれど、常にそう、なんていえないから、どのタイミングでその割合を判断すればいいのだろう。

きっと、もっとも適切な判断場面は、おそらくもっとも切なくて寂しいときなのだろうな。



くるりの新曲、「How Can I Do?」をよろしく!