15号車のボックス席で生きる心地

きっと私は、寂しい話がしたい。
寂しくて、哀しくて、悲痛で、救いようのない……と、本人だけは感じている話をぽつぽつと語りはじめて、相手もまた呼応するように、大切にしまっていた、本人だけを狂わせてくれる話を聞かせてくれる。そうして、私の浅はかさを思い知りながら、発狂で生き延びてきた相手を貴く見つめていたい。
きっと、私はそんな機会を求めている。忘れていたものも忘れられなかったいじらしさと情けなさに溺れ、ついに遺体となって生き延びた先に見える景色はなんだろう。そんな、少しばかりの欲望がある。私が私に向ける、断じて期待や希望に基づいたものでない、醜い欲望が。


街は夜になった。私はまた電車内で眠って、縁もゆかりもない街のホームに降り立った。寒風に晒されて、雨粒もたまに頰を打つ。街が夜になれば少しはマシになるのは、24時間のうちの余暇の時間、だからだろうか。


なぜ、今なんだろう。
今日は久しぶりの鬱に襲われて、たまらない。なのに、およそ30分周期のハイとローの嵐に蹂躙され、荒波に揉みくちゃにされるなかでも、「あ、この感覚、なつかし」とスッと笑っちゃうのはどうしてか。


ひとりでオッケーだ。これはひとりの問題で、ひとりだから味わえるものなのだ。