2022/09/27 夢を見た

仕事終わりの秋の風はたまらなく気持ちがいい。
遠く西の空が繊細に色づく。

帰りの電車で眠気に揺られ、瞼が重たくなるたびに、今朝見た夢がプレイバックされた。



西九州新幹線が開通した町で、子どもたちが、新幹線がやってくるのを今か今かと待っていた。


あのね、
新幹線の赤は、
いちご色なんだよ。
キャッキャと笑い合う子どもたちのそばを、
新幹線かもめ1号が駆け抜けた。



そんなテレビのニュースを、
ついに一度も練習せずに
ピアノ発表会を明日に迎えた俺が、
焦燥感と諦めを混ぜ合わせたような顔で
煎餅を齧りながらぼんやり眺めていた———。



なんじゃこりゃ。

関係ないけど、昨日、
初めて金木犀の匂いを嗅いだ。

2022/09/17 祖父の四十九日

祖父の四十九日法要のため、日帰りで盛岡へ。
盛岡はホームに降り立つ瞬間、きれいな緑の匂いがする。
対比で、東京の空気の汚れに気づく。



タクシーで寺に着く。
寡黙な運転手。


気温は高いが、あまり蒸さないぶん、まだ楽だ。
四十九日法要。マスクにお香の煙が染み込む。
焼香はいつまでも慣れない。
あのぎこちない所作の間だけは、亡き祖父に想いを馳せる余裕がない。


和尚の読み間違いと、咳き込む音、少しずつ早まる木魚のBPM
読経のわずかな無音に、扇風機の羽音がよく目立つ。
一定のリズムで風速が強弱を繰り返すが、首振り機能の運が悪く、ずっと微弱な冷風が届く羽目になった。

遠く蚊取り線香の匂い。
外の庭園は青々と盛っていた。



疲れたな。
朝一番で東京を発ち、夜には東京へ戻ってきた。
東京駅に着くや否や、埃くささと湿気がマスク越しに襲いかかる。
往復4時間ほど、ただただ座席に座っていただけなのに、長距離移動の疲れがのしかかるのはなぜだろう。
身体は、果てしない移動距離をちゃんと理解している?



四十九日。
祖父の長い旅路の果てには、3年前に先立った祖母が待っているのだろうか。
この目で知るのは、何十年も先のことでありたい。

2022/08/08 木村リュウジ

今日は友人の誕生日だ。
私にとっては大学の友人。
外に目を向けると、
彼は新進気鋭の若手俳人


木村リュウジ。


彼の俳句とその姿勢や気概は、
いつか、俳句界の未来を開拓するような
才能ある俳人へと育ってゆくだろう。
そんな期待さえ上がる、その人生の一歩を、
彼は踏み出そうとしていた。



彼は宮崎斗士を尊敬していた。
俳句は私は明るくないが、
彼と会うたびに、宮崎斗士の俳句の良さを語ってくれた。
惹かれる句ばかりだった。
憧れ、挑む心が芽生える気持ちもよく分かった。



大学卒業から、彼は神経症を患い、闘病した。
彼のブログには、病状が克明に記録されている。
ryjkmr1.hatenablog.com



特筆すべきは、感情に訴えることのみに終始せず、
むしろなるべく除けていき、必要な情報を正確に伝えることを意識している点だ。
正しく情報を伝えることの価値を、論理の力を信じる彼の姿勢を体現していた。



感情が心に訴えるが、
人間に必要なのは、論理ではなかろうか。
感情あっての論理というが、
論理あっての感情なのではないだろうか。

と、訴え続けていた彼が、心を患うというのは、一体、どれほどの苦しみだったのであろうか。


最後に会ったのは、1年前の8月9日。
写真を撮って欲しい、と依頼され、大学敷地裏手にある自然公園で彼を撮影した。
若々しく爽やかな表情をしていた。
その後、新人賞記念の『海源第32号』が自宅に郵送され、
掲載ページには、彼らしい写真が載っていた。



彼の所属していた俳句結社『海源』には
今は亡き木村リュウジへの追想が、彼の俳句とともにホームページに公開されている。
執筆者は、彼が憧れ焦がれた宮崎斗士。
液晶画面の前で、首を垂れる。


kaigen.art

2022/08/04 30歳

30歳になった。
晴れて20代と縁を切り、30代の仲間入りだ。
この世に生を受けてから、31年目がスタートした。




毎日は楽しい、となるべく思えたら嬉しい。
しかし、現実は気の塞ぐことが多い。とくにコロナ禍が長期化するにつれて、どんどんと心が霞む実感が増している。親友と呼べる数少ない人のひとりを亡くしてからは、頭に霧が立ち込める日々が続く。




今日は診察。
「30歳まで生きてこれたのは凄いことだ」と主治医は仰る。
30歳になった。
そうか。
30まで、頑張って生きてきたんだな。


たしかに、20歳になって「この歳まで生きてこれたなあ」と棒読みで誦んじても、イマイチしっくりこない。
これ、グッとくるのは、30歳になってからかもしれないな。
俺、30歳まで生きてこれたんだなあ。
現に今、グッときている。




誕生日にしては辛気臭いことばっか書き連ねてしまった。
生きていると、楽しいことや嬉しいことより、悲しい想いや辛い気持ちにやられることの方が圧倒的に多い。
でも、30まで生きてくると、それだけで、ちょっとした実績……というか、ほんの少しの慰めにはなる。かもしれない。
今、辛い20代を過ごしている人も、30歳を迎えてみてほしい。「ああ、頑張ったんだな」と自然に感じ入る一日を、自分への贈り物として想える。……かもしれないから。




30歳かあ。
嬉しいな。
30代、新入りです。
よろしくお願いします。

2022/07/30 冷凍室

昼に起きてから、ウダウダと自室で過ごしていた。
惰眠を貪るほどでもない眠気を持て余し、布団でダラダラと暇を持て余す。



日が暮れた。
と同時に、なぜか我がメンタルも沈み切った。
それはあまりにも急なことだった。さすがに突然すぎる急転直下で、「これは調子の良し悪しとかじゃないな」と勘づく。
しかし、あまりにも突然の気の沈みよう。まるで寝起きに踵落としを見舞われたような心境。そんなシチュエーション、ないけど。



自室を出た。
冷房は効いていない。
リビングで、麦茶を飲む。
冷房の付けていない無人のリビング。
温度計は33℃を指していた。


ほどなくして全身がジンジンとした違和感が襲う。
手足の末端から、なにか、ぐるぐると回って全身が巡っていくような、凍りついた身体を氷解していくような……。


熱中症かな、と思い、もう一杯だけ麦茶を注ぎ足し、ぐびぐび流し入れては自室へ戻る。
これがキンッキン。
寒くない。ただただ冷たい。
部屋の中が冷たすぎる。
まず床がキンキン。足裏がツンとする。
また部屋の扉のノブもキンキン。
しかも部屋の内側でなく、廊下側から。


温度計を見てみると、24℃と表示されていた。
それもそのはず、エアコンの設定を24℃にしたためだ。
こんなん、誰でもメンタルいくだろう。


ベランダに出る。
西の空が薄く明るく藍色に差していた。
身体がいよいよ血の巡りだし、先ほどまでの深い落ち込みが嘘のように晴れやかだ。



冷房には気をつけるべし。
皆の衆。

2022/07/25 先週金曜のこと

先週金曜日。
仕事が終わって、退勤のち、スーパー銭湯へ行こうと思い立つ。
日が伸びた夜6時はまだ「日暮れ」ともいえず、電車で隣町へ。


しかし。
なぜか。
急に。
気が乗らない。
シュルシュルシュル…と、銭湯欲が萎んでいってしまった。

お湯に浸かったり、サウナに入ったり、水風呂に唸ったり、外気浴したり、そういうことが、なんか、面倒くさいな。
悩む。
首を傾げる。
あれこれ考える。
行こうか…それともやめとくか…。
スーパー銭湯の建物の周りをぐるぐる歩き回る。
しかしどうして、よりによって、スーパー銭湯の目の前で、スイッチが切れてしまったか。




腹が減ったので、ひとまず近くのガストに入店。
から揚げ定食。
美味いな。
ファミレスに行くこと自体が数年ぶりだが、ファミリー層が郊外の様相だった。
「これが郊外か…」と、猫型の配膳ロボットを横目にしみじみ思った。



から揚げ定食を食べたら、身体がシャキッとし出した。
と同時に、脳も栄養が届いたのか、自分の体調をよく測定できるようになる。
なるほど。
そうか。
俺、あんま調子、よくないや。
スーパー銭湯、引き返しといて正解だったんだ。
張っていた糸が一気に弛む。
今週も、無理しなくてよかったんだよなあ。




ガストから少しロードサイドを歩く。
歩き出すと、いろんなことを考える。
体調がいいと、いろんな物語が数珠繋ぎのように浮かぶ。道ゆく人々や車の往来から、その人たちのストーリーを想像し、互いに交差させてゆく。創作欲を掻き立てて、ホクホクなウォーキングとなるのだ。


…が、精神面の体調が悪いと、そうはいかない。下手すればマイナスなことにマイナスをかけては二乗三乗と地中深く掘り進めてしまう。
ので、外の空気や、夜に暮れゆく風景によく目をやった。
目に見えるものを、たとえば、どうやって写真で撮るか、などなど、考えた。


思えば俺は、
景色や色、光の具合を見ているのが好きな子どもだった。

2022/07/19 一生は短い

一生は短いなあ、
と、ごく当然のことをしみじみ想う。
今年30歳になる俺が、これまでの月日をもう一度回すと、もう定年退職の歳になるんだからな。
ペットのインコも、天寿を全うするころには、俺は45〜50歳になっている。人の一生のうち、ペットを飼う機会は4〜5回あれば多いほうだ。


60を過ぎた両親のように、
「この景色が見れるのはあと何回か」
「あの街に旅行に行けるのもあと何回か」
「ペットを飼えるのもあと何回か」
と、ふと残りの日々を逆算して考えるようになるのも、人生の店仕舞いこと「終活」に手をつけ始めるのも、案外あっという間なのだろう。


信頼する人の、
「ただでさえ短いんだから、自分から死なずに、生き恥晒して生きてったほうがいいよな」
との言葉が、胸をじんわりと温めては、凍りきった思考を再び回転させてくれる。


一生は短い。
そのほかは、この世はサッパリと潔いほどに、何一つ知る由もないな。