今日は友人の誕生日だ。
私にとっては大学の友人。
外に目を向けると、
彼は新進気鋭の若手俳人。
木村リュウジ。
彼の俳句とその姿勢や気概は、
いつか、俳句界の未来を開拓するような
才能ある俳人へと育ってゆくだろう。
そんな期待さえ上がる、その人生の一歩を、
彼は踏み出そうとしていた。
彼は宮崎斗士を尊敬していた。
俳句は私は明るくないが、
彼と会うたびに、宮崎斗士の俳句の良さを語ってくれた。
惹かれる句ばかりだった。
憧れ、挑む心が芽生える気持ちもよく分かった。
大学卒業から、彼は神経症を患い、闘病した。
彼のブログには、病状が克明に記録されている。
ryjkmr1.hatenablog.com
特筆すべきは、感情に訴えることのみに終始せず、
むしろなるべく除けていき、必要な情報を正確に伝えることを意識している点だ。
正しく情報を伝えることの価値を、論理の力を信じる彼の姿勢を体現していた。
感情が心に訴えるが、
人間に必要なのは、論理ではなかろうか。
感情あっての論理というが、
論理あっての感情なのではないだろうか。
と、訴え続けていた彼が、心を患うというのは、一体、どれほどの苦しみだったのであろうか。
最後に会ったのは、1年前の8月9日。
写真を撮って欲しい、と依頼され、大学敷地裏手にある自然公園で彼を撮影した。
若々しく爽やかな表情をしていた。
その後、新人賞記念の『海源第32号』が自宅に郵送され、
掲載ページには、彼らしい写真が載っていた。
彼の所属していた俳句結社『海源』には
今は亡き木村リュウジへの追想が、彼の俳句とともにホームページに公開されている。
執筆者は、彼が憧れ焦がれた宮崎斗士。
液晶画面の前で、首を垂れる。