Re-当駅始発快速東葉勝田台行き

冬が寒いものだと、あらためて感じ入る季節になった。

東京の冬は一面的かといえば、実のところは違う。1月までの乾いた冬と、2月からの湿気った冬。この街は季節が巡るうちに忘れてしまい、冬が来るたび感覚を取り戻すのがいつものことで、そこでしか生活していない私も含めて、ああ、そうだったなあ、なんて呆けた顔で思いだす。
この頃は雪のちらつくようになった。粉砂糖を振り落とす細かい雪が静かに落ちる。この冬は積雪の心配もなさそう。しかし粉雪はゆらゆらと落ちていく。拍子抜けするほどのどかにやっていて、心が解ける思いがした。もう湿気った冬になった。


さっきまでクリスマスのことをしきりに考えていたのに、いつのまにかバレンタイン。ラジオから流れる曲も阿呆のようにめざとく寄せた音楽ばかり流れている。あなたがたが大切にしている音楽はこんな平面的な扱われ方をされるために産み落とされたわけではないのに、作り手は腹が立たないのだろうか。私は一瞬だけ血が上って、でも、そんなものかあ、と内臓に下げていく。だいたいみんなそんなものかな。ささやかに今クリスマスソングを聴いてみる。
今年は、羊文学の『1999』と、サニーデイ・サービスの『Chiristmas of Love』が素晴らしかった。「クリスマスソング」の枠の中で落とし込むのが惜しい曲が私は愛おしくて、これから先も全シーズン好んで触れそう。奇しくも羊文学は夜に、サニーデイ・サービスは昼に合うので、少なくとも、全日これで、このまま冬を乗り切れそう。粉雪が舞えば寒さも和らぐ気がしているが、もしかしたら、クリスマスソングを流すラジオ局も同じ心理で電波にのせているのか。冬は冬らしく、多少は積もれば凍てることもないのかな。


雪でいつも思い出す。
私が成人になった年、それも成人式の当日に、東京が大雪に見舞われた。もちろん交通機関は麻痺し、街は荒れに荒れた。目の前で転ける人をよく見かけた。それに気を取られ私も転けた。足元ばかり気にしなければ歩くことも難儀する。雪国では暮らせない。だからという理由にしてしまうが、私は成人式には出席しなかった。
会場は豊島園。例年ならば、式が終われば無料でアトラクションに乗り放題。振袖袴で楽しく遊びつくせるところ、大雪となればどうだったのだろう。でも、どうせ倍々の高揚感で楽しんだのだろうなあ。
と、ここでひとつ電話がかかってきた。中学時代のクラスメイト。変わり者だと笑われていた奴だった。いい奴なのだが、変わっていた。あまりに久しぶりのことで、着信画面のフルネームからして変な名前だなあ、と錯覚してしまう。べつになんてことない、いい名前なんだけれど。
「あ、大山? 今どこにいるー?」
と、あの頃と全く変わらぬ調子。一気に中学時代に引き戻された。明るくも暗い思いがする。触れた途端にぬめぬめと生暖かい、気の抜けたゴムボール、みたいな不気味さが漂うままだ。ごめん、俺は行っていないわ、と伝えると、
「ああ、そうなのかー。誘える奴誰もいなくて電話したんだけどなー、どうしよっかなあ」
間延びした声と、あいも変わらずちょっとずれた立場で、心が解れていく。まったく変わらない、ドライな風合いが救われた。変わり者で腫れ物だった彼は、私を腫れ物扱いすることなく、そのまま電話は終わりに向かう。
「じゃあ、バイキングでも乗って帰るかなあ、またな!」
切れた直後、もう会うこともないのだろうなあ。だって成人式だからなあ。今生の別れの予感がした。べつに彼は生きているが。たぶん。
案の定、彼を知らないままだ。


粉雪が舞うのが毎日のものになった。気圧が大きく上へ下へと揺れまくって、偏頭痛に悩まされる人を多く見る。私も頭が痛く、眠く、怠く、散々。
どうせ降るなら積もりやがれ。積もれ積もれ。荒れろ荒れろ。すべて麻痺してしまえ。そんな瞬間、ちょっと昂奮するのはどうしてだろう。