散文:いろいろ


コンタクトレンズをつけることのいちばんの利点は、メガネをかけずに済むことだ。そりゃあそうだ、というはなしなのだけれど、メガネをかけずに済むならば、それはたいへん嬉しいことだ。メガネの重さは侮れない。結構、顔から肩にはじまって、凝りが全身に回っていく。メガネは身体が凝りやすい。コンタクトレンズのよいところはそこと、マスクをかけても視界が曇らないところ。唯一の欠点は、終いがないほど高価なこと。嗜好品みたいな気持ちになって、どうしてもメガネをかける日が多い。肩凝りよりもお金が大事。お金よりも肩凝りの方が好き。


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交差点の横断歩道、青信号の点滅の回数とか、よく見たことがありますか。私はしきりに確認しては「ここは8回だから〜」とか「ここは12回だから〜」とか、勝手に理由を分析し満足する。私の考えはこうだ。点滅の回数の多さは、人通りの多さと比例する。人が多ければ多いほど点滅するということだ。なんとまあ、当たり前すぎる。これを中学時代からずっとやっていて、思春期のはじまりは交差点の点滅を意識することだった。同級生の女子を好きになるとかなんとか、殊勝なことはなかった。


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木々が裸。取り壊された家屋のそばを通ったら、新しいマンションが建っていた。今、より前のことを思い出せない。木々が青々と誇っていたことも、煤けた家屋も、思い出せない。以前、この現象をどこかの論文が発表していたことがあった。ツイッターでまわってきたが、結局、中身を確認せずに「ああそうなんだ」程度で仕舞われた記憶が、こんなところでほんのちょっと重宝されるだなんて、夢にも思わなかった。


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新しい小説を書こう。はじめて書いた小説は、16だか17だかの頃だった。それから書き上げたものはなかったが、26になってようやく、およそ10年ぶりに記録が更新された。創作する機会に恵まれ、ひいひい呻きながらも出来上がった。愛らしい。愛おしい。愛に満ちているが、読み手にとっては縁のある小説ではないかもしれない。できれば縁の多い人生を歩んでほしい、と思うのは親の情というもの。


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やっぱり、とも思うし、意外や意外、とも思う。書くことができるものが増えた。これは10年間、無意識に培ってきたものがあったのだろう。なにを培ったのだろう。貪欲な生き物だと思った。忘れたり身につけたり、やったりやめたり、いろいろだ。私の通うピアノ教室の先生は、いろんな雑談をしていただく。だいたいが教室の生徒さんにまつわるいろいろなこと。Aさんの就職、Bさんの旅行のこと、Cさんの親御さんの老後のこと、先生ご自身の身の上……。気がつけば、あっという間に時間が経っている。もうひとつの家族のようだ。その先生が必ず締める言葉は、「いろいろだねえ」。いろいろだよねえ。いろいろだよ。その言葉を思い出しては、なにかがあっても、なにもなくても、「それ以上ないんだよなあ、いろいろだもの」などとわかったように感じ入り、どこかに仕舞い込む。