苦痛を生きる理由は

10年ほど前のある時期のこと。ひとりでは到底抱えきれないほどの苦痛を、しかし、抱えなくてはならない状況下に置かれた時があった。そこで、私が、生きながら苦痛を背負うために取った方法は、内面を、物事を、とことん思考し分析することだった。そして、知らないことを知り、不明瞭なものを明瞭に、不穏なものを明快にするのだ。


無意識のうちに選び取ったその自衛策は、なぜ機能したのか、私は考え、現時点のある答えを見出した。それは、自身の背負う苦痛そのものに目を向けさせないために、私に思考と分析の癖を与えたのだ。ある物事を考えさせないために、他の物事をひたすらに考えさせたのだ。


私は、小さな諦念と、大きな感動を覚えた。この自衛策によって、私の抱えている苦痛を知ることは、おそらく出来ないだろう。しかし、その無意識の選択で、私は今日まで生き抜くことが出来たのだ。私は、小さな諦念と引き換えに、自身に在る積極性を知ったのだ。

私は、本来から生きたい、という欲求がある。生命力に溢れている、その潜在能力がある。私が受けた大きな感動は、このようなものだった。