クロール

深夜。
日々の生活に彩りを加えるメランコリー気質が、またもドドメ色のスプレーを噴射した。



こういう時はどこかに吐いた方がいい。
ネット上は避けるべきだ。


なのでこの頃は、気が付いたその時にメモ帳に書き出すことにしている。


つっても、書くような落ち込むことがなけりゃそれがいちばんだろ。夜の日付も変わりかけの時間になにも布団から起き上がって、書くっていっても言っちゃあ泣き言じゃねえか。
と、体調の悪さを示唆させる悪態をつきながらもメモ帳のあるリビングへ、足取り重く向かった。




母がいた。


背中をぐりぐり押さえたり揉んだりしている。
ウーウー言っている。



私が「どうしたの」尋ねようとした瞬間、こちらを振り向いて、
「昨日、プール行ってさ、クロール泳いできたんだけど、今になって痛くてさあ。20分くらい歩行したからもう泳いでもいいよね〜って、夢中になっていたらこのざまよ」
と、なぜかいかにも誇らしげに、ちょっと嬉しそうにハキハキと筋肉痛事情を教えてくれた。



還暦を超えているんだから、無理をしないでほしい。
ただ、還暦を超えた母は、佇まいがいよいよ少女のそれへと、逆戻りをしている。加速さえしている様相だ。



それは、とても素敵なことだ。
なので、急遽、母にクロールの泳ぎ方をレクチャーすることにした。



どんな泳ぎ方でやってるのか、聞いてみる。
母は、身振り手振りを交え、あたかも水中のように腕をかいて教えてくれた。
あー、それは肩も背中も腰も負担かかるよ、と言う。
えー、じゃあどうやるの、と聞かれる。



こうやるんだよ。


ほら。
この、水をかく時に、反対側の内側に向かってグワっとやると、ほら、身体が傾くでしょ。
水かいた腕はそのまま後ろまでかききってから、勢いつけて水から上げて。あとは力入れなくても戻ってくから。
ほら。
ほらね!
反対の腕もね。
そうやってくと、身体が自ずと右に左に傾くのよ、振子式の電車みたいに。自然に任せて。
んで、野球の投げ方で「それ手投げだねー」ってことあるじゃん。手投げでなくすコツってのは、投げる前から腕を後ろに引いて勢いづけると、全身に負担なくできるらしいよ。クロールも同じで、全身を使って運動の流れをつくると、肩も背中も腰も連携して、翌日痛まないんだよ。
あと、そうそう、クロールを前に進ませるものは腕じゃなくてね……



と、この一連のレクチャー、全力で身体動かしてやりました。汗が止まりません。なんだろう、なんでこんなに身体があったまってんだろう。これから鬱メモ書き殴って枕を濡らして寝るつもりだったのが。おかしいな。
母もすっかり、「次はそういう風にやってみる!」と闘志を燃やして、あっという間に自室へと消えていってしまった。



なんか、心のモヤモヤ、ずいぶん薄まったな。
悲観的な気持ち、ほとんど消えたな。
あのクロールのおかげか。
右手にスポーツ熱、左手にメランコリーを引っ提げて、どっちも宙ぶらりんなリビングで。
とりあえず、冷たい麦茶を飲んだ。



たしかに、スポーツの世界は、傾聴よりもハウツーが重宝されるものだ。
こういう風にやってみれば今の諸問題は解決へと向かう。だからやってみる。だめならこの獲得法で、やってみる。


トライアンドエラー
こんな世界で、視界の先にハウツーブックがチラチラ見えてるところで「そうなんだね、泳げないんだね、つらいね、わかるよ」なんて言うコーチ、誰が求めるか。



むろん、これはスポーツの枠だけに止まらない。
むしろ、メンタルヘルスや悩みの世界には、大きく寄与される考え方だ。


それは、わかる。
わかってる。
でも、一応、予定通り、メモ帳には書いとく。


にしてもすごい身体がぽっかぽか。全身の軋みも解れ、心地よい汗が額を光らせていた。まさかこれが、鬱々してる人のものとは思わんだろうな。




以下、クロールやるまで、もう俺は終わりだと頭抱えていたはずのこと。


「毎秒コンマ何ミリのズレでも、何年も経っていれば人とのコミニュケーションが上手く取れなくなってきてしまった。何年、十何年、さては何十年とかけて、画面越しにいる血の通った人を、人と思えなくなるかもしれない。コロナの流行から自粛自粛を重ねるうちに、10年分の麻痺を先取りしてしまった気がする。ダメだ」


なんだこの、如何ともしがたい、はっきりしない煩いごとは。
ハウツーがどうの、というのと、俺はダメだと頭抱えていたことは、それはそれ、これはこれの話だ。しかし、返す返すも、こんなへなちょこなことで鬱々していたんだなあ。


運動、しよう。
それでも無理なら、何としても無理だ。