貴方へ言いたいこと

私の中にはもうひとりの私がいる。
と書いてみると妙に意味ありげ、バックボーンの思わせぶりな態度だが、そのような深く重たいものでなく、ただ単に、私を監視する私がいるだけのことだ。その存在は、私が心を患って以降、欠かせない役割となった。彼の仕事は、これまで、私の妄信的かつ短絡的な思考によって導き出された、至極いびつな結論に、チェックをつける、精査する、批判の目を向けることだ。


彼には私は感謝をしている。彼は休みなしに仕事をしてくれた。私が簡単に展開してしまうあらゆる思い込み、あらゆる妄想、またあらゆる疑念ひとつひとつを、彼は拾い上げて回収してくれた。批判と修正を試みてくれた。そのお陰で、私はあらゆる逸脱に片足さえ踏まずに留まることができた。思い込み・妄想・疑念の沼に浸からず、それに対しての批判の眼差しのお陰で、社会的な生活が、現在も行えている、と、自負している。


ただ、これから先の生活となると、少し、軌道を修正しなければならない。方針を転換しなければならない。それはなぜかというと、彼の、その眼差しが、いくぶん、強すぎたのだ。私を批判的に見つめるその存在に、今、少々、火傷しそうな思いを抱いているからだ。
これまでの日々に、私は、私を批判していた彼を傍に置いてきた。そのことによって救われたのは、石橋を叩いて渡る選択ができたこと、自衛策としての自己批判がある程度の成果を得たことだった。ただ、それも限界が生じてきたのもまた事実だ。私を支えてきた自己批判が、いつの間にか、自己否定に変化していたのだ。


自己批判と自己否定は、似て非なる行為であり、その違いは、「自己を尊重しているか否か」である。私の警護のために働いてくれた、彼の批判の目に慣れた私は、いつしか、私のあらゆる行動に対して、「それは可笑しい」だとか、「それは変なことだ」と、はなから否定的に決めつけるようになってしまった。
批判には、体力がいる。まず、相手の主張、衝動を受け止める過程がなければ、「しかし、それは考えを直すべきではないか?」「ちょっと立ち止まって考えるべきでは?」といった提案が出来ないからだ。最初の「受容」がなければ、以降に繋がらない。しかしこの「受容」に体力を要するから、疲労が増すと、それをおろそかにしてしまうのだ。疲れをもった私は、次々と「受容」をパスし続けた結果、自己否定が強まっていき、私自身の行動のほとんどを否定するようになっていく。


それで現在に至るわけだが、否定が積もるとどうなるか、というと、より生活の疲労が蓄積していくのだった。生きることにぜえぜえと呼吸が荒くなり、またか細くなっていく。その実感をもちながら、まだ、自己否定が止んでいない。
だから、方針を転換しなければならない。彼と距離を置かなければならない。もっと、肯定的な存在に触れ続ける必要と、肯定的な私を見出す必要がある。その危機感や焦りが多分にある。なぜなら、今の私は、ほんの少しだけ危ういからだ。


そんななか、数日前、私は誕生日を迎えた。1日過ぎていくなかで、沢山の人にお祝いのメッセージを頂いた。素直に、嬉しくて、震える思いがあった。私の身近な場所には、私が生まれてきたことを、手放しで祝福してくれる人が、こんなにも多く存在している。時に信じられないほどのその事実が、堪らない。そして、未だ祝っていない人がいるとすれば、それは私だけ、私そのものなのだ。


だから、私は、暖かく柔らかな地に、今すぐに行きたい。パスポートも金銭も要らない、ただ必要なのは向かう決心と継続して移動する勇気で、だから困難で、苦しい。分かってはいるのだ。知らぬ顔してすべて理解している。だから、焦っているのだ。
だから、しばらく距離を置きたい。彼のお陰で、私は生きていけた。けれど、今の私はもう、彼だけで生きているわけではないのだ。


私の現状を肯定的に、分離して捉えるなら、こうなるのだろうか。