花曇の街で (1)

 さいごに創作を完成させたのは、おそらく高校の4年目のこと。だから、かれこれ6、7年は書きあげていない。いや、書きはじめてすらいない。なので、今年書きはじめるとしたら、そして順調に書きあげることができたとしたら、20代ではじめての小説になり、それはそれはわがごとをわがごととして喜べることだろう。
 さまざまな忙しさに満杯だったのが、このごろはひと呼吸おけるようになった。そんな日々にふつふつと沸きあがってきたのは、やっぱり、「創作したい」の欲求だ。ならばここは従順に、と、めでたく書きあげることを目標に、続きが出来上がり次第、この場へ載せることにした。
 以下からスタートです。さあ、無事にゴールできるかな?

 

 

 

 

 貝殻を耳に宛ててもなんにも聞こえやしない。耳に入るのは、せいぜい寄せては引くさざなみと、カモメの鳴き声くらい。そう知っているのに、いままさに貝殻を手に取って、おもむろに耳へと近づけている私は馬鹿なんだろう。目を閉じれば、ああ、浮かび上がるは波打ち際で戯れるカモメ。
 馬鹿らしいな。潮水のかかった冷たい貝殻は傍らに捨てた。開けた視界に広がるは鉛色の海原と、波打ち際で硬く直立している陽介のうしろ姿。嗅覚を加えれば、雨の気配もする。数時間もすれば、ぽつぽつと降り出すだろう、氷のように尖った雨が。
 「陽介くん、どうします?」
 もう、戻りましょうよ。戻るでしょうふつう。戻るって言えよ。と、遠回しに告げているんだけど、彼はきっと、そんなメッセージを読み取らずに、振り返って微笑んで、こう答えるだろう。もう少しここにいたい。もうちょっといさせて。あと数分だけ。
 「あと少し、あともうちょいいたい、数分でいいから」
 なんだよほぼ正解かよ。予想したのが当たってこんなに苦々しいとは。
 「もっとですね、わかりました」
 そう言って彼に見せた笑みが、苦笑いだって知ったら、ショックで寝込むかな。どうだろう。わからん。まあ、返事を予想できるくせに直接言わない私もいけないね。それにしても、彼の返事はひっくり返るほど爽やかなトーンだった。ここまで人の機微を読み取ろうとしないとは、やっぱり頭がいいんだろうな。
 雨さえ降れば、諦めてくれるだろうか、陽介。どれだけ降れば言ってくれるのだろう。今日はもう戻ろう、寒いなか、ありがとうな。その言葉を待つために、傘、持ってくればよかったのか、忘れていてありがたかったのか、わからないな。カイロは背中とお腹に貼り付けた。そうやって、持参してきた私も私だ。言葉から行動から、なにからなにまで彼に甘い。
 しゃがんで、目前の硬い砂をじっと見つめた。大小さまざまな貝殻が、土色の砂に埋もれている。この子たちは、いつか波にさらわれて大海に呑まれゆくのか、またはこのまま、大地の奥へ奥へと沈んでいくのか、どうだろう。ああ、危ない。暇が高じて、よからぬことを頭に巡らせてしまった。ああ、脚が痛い。運動不足にこの姿勢はきついな。立ち上がる。閉じていた膝の裏を、潮風がやさしくくすぐる。身体にこもる熱気が、またひとつ静まった。
 見上げれば、うねりはじめた鉛色の大海原と、立ったまま微動だにしない陽介。私は彼の後ろ姿を見ているけれど、彼は、いったいなにを見つめているんだろう。わからん。


 時間が経ったか経たないか。麻痺をしかけた身体に指令を。嗅覚に働きかけてみる。なにかわかるかい?
 ええと、潮の香りと、雨の気配の匂いと、あとは……から揚げ?
 「おお、ホントにいたよー」
 後方から、間延びしたしゃがれ声がした。振り向くと、背の小さくスポーツ刈りで制服姿の男子が、護岸の上に立っている。ああ、賢太だったのか。いつみても、子どもな佇まい。両手には、にわとりイラストの包みが見える。
 「おお、誰だお前は、あとなんだよ、それ」
 朗らかな陽介の声を聞くや否や、中学生風男子は満面の笑みを湛え、軽やかに階段を駆け降りる。彼はから揚げの匂いをぷんぷんと強めながら、私たちに駆け寄ってきて、
 「ひでえ、買ってきたのに! いろいろ考えてさあ、みっつくらい目星を付けたんだよ、図書館と、高校と、あとここ。ホントはさ、こんなクソな天気で浜辺デートはないっしょ、って最初から外してたんだ。でもこれ一緒に食えるのはここしかないじゃん、だから賭けてみたの、んでコンビニで買ったの、はい、どうぞどうぞ」
 と、自慢げな画策をぺらぺらと吐き出し終えると、カラフルな『にわとりクン』の包みを、さも格別なプレゼントのように仰々しく渡していった。さすがから揚げ、と賢太。もらった瞬間、手の全体に熱が行き届いていった。

 

 つづく