旅1日目:盛岡

ホテルの部屋が、予想通り乾燥していた。
そのうえ、やや暑かった。
カーテンを引くこともないほど厚いフィルムが貼られた窓の、
縁にある取っ手を引いて、数センチだけ小さく開ける。

ほんの少しの外気を取り込むはずだったのに、
盛岡の街の音がよく聞こえる。
車のクラクションや走行音、それから、耳には入らない音、
繁華街特有の、目に見えて耳に通らない音の数々が、
まるで密封された空の瓶にとめどなく夜の液体が注がれていくように、
無音の白い一室が街の一部となったように、
外気とともに侵入してくる、この感覚は嫌いではないと思った。

夜の瓶。
深い紺色と星の金箔がちらちらまぎれた、
その液体でたぷたぷになった瓶をあらためて閉じ込めて、
私はほんの少しほっとした。ちょうどよい安堵を味わったのちに、
ようやく文章を書く気が起きた。


ひとり旅を肌で感じる瞬間は、おそらく夕食のときだろう。
「あ、私はひとりで知らない地にいるんだ、
って、伝える人もそばにいない旅をしているんだ」
と、箸で掬った冷麺を上下にたわませながら、
やっぱり痛感した。私はひとり旅をしている。

寂しい、と素直に思った。
でも、必ずしも悪い寂しさではない。
なぜなら、冷麺をすすった後にコンビニに入って、
好きなお菓子と飲み物をレジに持って行って、
そのまま部屋に持ち込んだっていいのだ。
この旅の「寂しさ」は単体のものでなく、
「お好きにどうぞ」に内包されたものであって、
やろうと思えばすべての予約をキャンセルして、
まったく異なる地へ泳いで渡ったっていいのだ。しないけど。

 


盛岡に着いたのは、正午前だった。
滝の広場で祖父が待っていた。
2年前の冬に会ったときに見かけなかった、質素な色の杖。
祖父は、腰を悪くしていた。
その連鎖で、足元もやや危うくなった。

祖母は、展望台のあるビルのエレベーターホールで待っていた。
こちらもこちらで、見慣れない姿で迎えてくれた。
車いす。ビルから借りた、病院のような質素な車いすに乗っていた。
祖母は会うたびに足を悪くしていた。
しかしいよいよ車いすの生活も現実味を帯びてきたのだ。
うしろに回り、レバーを持ち、運転する。
いつも、車いすとなると、
祖母の座る車いすを、
か、
車いすに座る祖母を、
と書けばいいのか、よく分からない。
よく分からない孫ですまない、と思った。

展望台から見る岩手山は、雲で覆われていた。
盛岡といえば岩手山だ。
岩手出身でなくても、その霊験あらたかなさまは目に焼き付いている。
でも、やっぱり少しは、岩手山2017ver.を拝みたかったものの、
でも、台風の危険を考えれば、かなりお天気なようすだ。

近くの、展望台レストランに入った。
そこで、多くの会話をした。
祖父は相変わらず精力的に動いていて、いつも忙しない。
「事務所が」「後援会が」「飲み会が」と常に漏らしていて、
毎日多くの人と出会っては、吸収を続けているらしい。
その証拠に、今回も「事務所が、」と言い残し、途中で抜けてしまった。
私にとっては、杖をつきながらも忙しない祖父が、
2017年もまたアップデートされていることに喜びを感じた。

そのあとは、祖母の果てなく濃い、自身のルーツを聞いた。
祖母のルーツは私のルーツでもあって、
「いつかかならずすべて聞こう」の、
その「いつか」を今日にするつもりで、
大学1年生に買ってほとんど使わなかった
ICレコーダーが日の目を見るぞ!
と、威勢よく連れてきたのだった。

祖母の人生は、壮絶そのものだった。
また、人の愛に恵まれた人生でもあった。
彼女の、また彼女のまた先代のその壮絶さ、悲痛さを、
周囲の人びとが温かく濡らしたタオルで拭ってくれた、
そういった人生を語っていた。祖母は笑って話し続けた。

祖母は、人の愛を信じている。性善説を疑わない。
その印象は、彼女の人生を私が取り込み終わってから、
さらに強化され、しかしあまりにも悲痛だった。
でも、祖母が微笑んでいること、笑いかけながら語っていたこと、
それが人生の全てで、そう、それが人生の全てだった。

レストランの窓から岩手山が見えて、
いったい、威厳に満ちたあの山は、
祖母の、たとえば駆け抜けていた足跡も、立ち止まる静かな冬も、
すべて見つめていたのだろうか、と考えた。

 

f:id:sokobiemoon:20170902191315j:plain

 


足腰の弱い祖母は、タクシーで帰った。
私は、ホテルのチェックインまで1時間半ほど時間があったので、
とりあえず、市内循環バスに乗って時間をつぶした。
盛岡城跡公園で降りて、明治初期まで構えていた盛岡城の傍を歩く。
東北はもう秋だった。
東京ではいまだ浴びるような深い緑を感じていたのに、
ここはもう赤く染まり始めていた。
季節がひとつ進行していく。
進行して、あらゆるものが年を取ってしまう。


ホテルに入り、考えた。
私は、寂しくて、人の目ばかり気にしてしまうこと。
そうなると、よりおろおろしてしまって、
いつまでたってもこの世の中に自己開示できていないこと。
もう、そんなことを考えている年齢でもなく、
周りはどんどん成長していて、私は幼稚なままでいて……
って、ほらほら、また人の目に怯えている。
と、そういう具合で土曜のテレビを眺めていた。
関西ローカルと思しきバラエティ。
芸人の上手なトークの振り、切り返し。
どうしてそんな高度なことができるのだろう、
と、なにかにつけてわが身と比較してしまうから、消した。


埒が明かねえ、と、外に出た。
そして、盛岡冷麵を食べてきた。
盛岡冷麺といえば、あそこしかない。
あそこ以外の店は、食べたことがない。
幼少からの味。
とてもいい味。それ以上に、懐かしい味だった。

美味しい、その気持ちさえ持っていれば、
美味しい美味しい、ほかのことなどすべて雑念じゃあないか、
美味しい美味しい美味しい、余計なタスクじゃあないか。
少しだけ考えたあとで、美味しいからそれに身をゆだねた。

 

f:id:sokobiemoon:20170902191347j:plain

 

とてもよい1日目だった。
1日目選手権ではあまりに私らしくて上位に食い込めるだろう。
たぷたぷの濃い色の瓶をいじくって、ひとつ記事を書き終えた。