明日東京がなくなってしまう

東北新幹線はやぶさ新青森行きは、低下する気温と溜息を集電し時速320kmで北上するみたい。でも私の乗った日には余震を理由に速度を落として運転したよ。でも揺れなかった、揺れていなかったはず。私には溜息の力が心許ないから、周りには迷惑をかけたんだわ。


落ち着いて拾うように生きようにも、私、緑のなかを歩いたことがないの。年度末、頻繁に行われる道路工事でぴかぴかな路上を、木々が剣術のようにぱしぱしと交え合うのも知らずにスマホの画面ばかり見ながら歩いてきたよ。ツイッターとLINEを見ながら、通知の積み重ねをパズルゲームみたいに一気に消化するのは、格別に気持ちがよかった。


環七環八はあっても環六環五なんて言葉を使う人はいないし、私の名前は出生時に決めてくれたけど、きっとユーザー登録のハンドルネームを考える高揚感には遠く及ばない気がするんだ。それを得るためだけに運営しているツイッターアカウントは二桁を超えて、3日も経てば綺麗に消すわ。


甘いお菓子を食べている人をちょっぴり軽蔑している。いまさらお菓子が甘いことくらい、飽き飽きすることはないのにね。100年後、私たちが死んだあとのお菓子は、どんな味をしているのか考えたことはある?


東京都23区民は人頭税の如く毎日そのことで気忙しく生きているらしいね。もういいよ、明日もしかしたら地殻が揺れて、大きく揺れて、定年後の人生設計をするロスジェネサラリーマンも、夕食の惣菜選びが生きる支えのニートも、みんな倒れちゃうかもしれないよ。


ペーパークラフト製の街は頑丈にも使い物にならないから、裂かれて破れたあとの景色はいっそう綺麗に見えるものだと思うんだ。東京がこわれたら、人はどんな幸福を手に入れるのだろう。人はなにをもって幸福を見つけだす?


そんなツイートを12個目のアカウントに並びたてたのに誰もいいねをつけてくれない。くたばっちまえ。消してやる。吐息と溜息との境界線は誰が決めるものでもなければ、それならすべて吐息に溶けていくのだろうさ。


見えなかったものを、見つけるつもりで、振舞うことは、本当にほんとう? 忘れるために、もみ消すために、乗換できたのは、正しく間違えられたといえるの?


明日、本当に東京がなくなってしまうのならば、今日はたくさんの花を買って、涙を湛えたりして、引き出しから都合よく取り出した記憶と慰め合う人で、公園はいっぱいになるでしょうね。