2018/08/13

 雷の音は私を昂奮させた。わざわざ強調することはないのだが、兎にも角にも、落雷の衝撃は私をひどく昂奮させた。何かの性癖なのだと思うが、何かを荒らす存在があると、安定を揺るがす何かがあると、私はいてもたってもいられなくなり、突き抜けた快感と、高揚、そして強い昂奮のうちにグルグルと堕ちていくのだ。ただ、それにも例外があり、そのたったひとつの例外が、人間そのもの。勿体ないなあ、最も遭遇確率の高いパターンが苦手だなんて、ツイてないなあ、と思うのだが…。ということで、人間以外の、安定を揺るがす存在に、私は何か惹かれるものや、期待を抱く性癖…いや、習性があるのだ。


 今日の落雷は、とてもよかった。すごくよかった。すぐ近くで落ちた雷は荒々しい直線でもって、たまに折れたりしながらも、容赦なく突き刺す印象があった。時を経ずして地鳴りのように轟いた雷鳴が、全身に素早く鳥肌を立たせた。襲ってくる、と自覚する間もなく、襲われたと感じた瞬間の快感は、筆舌しがたいものがあった。
 なによりも素晴らしいのは、理性では太刀打ちできない、畏怖さえ感じさせる巨大な自然の力に、私個人は全くの無力であることを、直面させられることだ。無力だ!醜い!汚らわしい!…とまではいわないものの、水浸しにされた街では、どんな反倫理的な行為であっても、逆にどれほど倫理的な善行であっても、誰も評価もしなければ見向きもしない、そんな爽快に腐った、挑戦的な気にさせられる。そんなこと、日常では滅多にないことだろう。


 しかしそれもやがては収まり、私に残ったものは、祭りの後の虚脱感と、低気圧襲来による頭痛と怠さだ。この文章は、残滓の力で書いたようなものだ。さっきまで荒れに荒れた天候だった東京23区も、今では打ち上げ花火の音が何処かしらから聞こえてくる。