(創作)春の海

 海水は冷たかったですか。それともあたたかさを感じましたか。きっと海水が容赦なくあたたかかったのでしょう。私は二度と、海に行きたい、などと思うものか。きっと、きっと、ぜったい、負けてたまるか。


 終電近くの東京駅発東海道線を、南に西にひた走りゆくスピード狂の大きな箱に、Cは音もなく飛び乗って、きっと向かうは海です。海ですよね。人間は、生の終わりに海へ戻るものと、心に教えさせられて、わたしたちは生き続けてきたではありませんか。Cは、きっと、生きることに忠実だったから。従順だったから。信仰をつねに抱いていたから。だから、まっくらな黒い海の横をぬめぬめと走るような、趣味の悪い電車に乗っていたのでしょう。
 道中には、ビル街があった。住宅街があった。田園地帯もあった。しかし、Cは見向きもしない。消費することは究極の生の営みですが、かれの財布には、片道切符代の1,500円しかもたずにいたかったのです。

 

 降りた駅のホームは、おそらく屋根もない、あおじろい蛍光灯がただただ等間隔に在るだけの、無人駅でしょうか。
 マッチ棒で積み上げたような駅舎を抜けて、Cは潮の香りを感じるはずです。なぜなら春の海が、かれを連れていく好奇心を晒して呼んでいたから。潮の香りはからいものです。からくて、せつない。すでにCは誘惑に負けきっていました。生きる先へといこうよ、と呼ぶ声に、従わざるを得なかったかれは、進むべき道も知らないまま、しかしまっすぐに歩を進めていきました。
 それでもいちど、Cは貴く涙を流したのです。音も、匂いもあるなかで、唯一失われたものが光ならば、かれは涙を流すことで、光の標にしてみようか、と、思いとどまろうとしたのです。しかし、まっくらに光りかけた涙を、かれはすぐさま左手の甲で、暗闇ごと拭きとってしまいました。東京に比べよく認識できる月や星さえも、Cよ、かれの叫びを読み取ってくれなかったんだね。
 ざあざあの森を抜けると、開けた浜辺へと到達しました。Cは、押せば潰れる砂浜に足を取られそうになりながら、まっすぐに行きました。どす黒くうねる、太平洋の裏の顔へと、進んでいったのです。

 あの海が、かれが身体をひたした春の海が、どうして冷たくなかったのでしょう。どうしてひとの心に似た海水温を、春の海は用意していたのですか。昼間にみた太平洋は、遠くには小さな島々、はるか先には西海岸が待っている、淡い青と薄い緑が互いに交わるような、やわらかいゆえに近づきがたい海でした。
 春の海は、やさしさゆえに、Cをどこへ連れて行こうとしたのですか。

 

 Cよ。海水に浸したときは、どうだった? 怖くはなかった? 怖かったのなら、誰かの顔は思い浮かんだ? その顔は、ちゃんと微笑んでしまっていた? 悲しみの表情であれば、もっと手前でもどってこれたのかな。きみは春の海を知らずにいられたのかな。
 かえってきたら、教えてほしい。