話は代わる。私には、聴くと様々な思いに駆られる1曲がある。くるりの『東京』だ。ふと聴いたラジオで、くるりの『東京』が流れた。あの曲が好きだ。とくに琴線に触れるのは、抒情的な歌詞と、それに絡みつくような粗いサウンドだ。ひたすら感傷的にさせるとともに、「ひとり」を肌で感じさせる、少しだけ怖い曲。そんな強い印象がある。
しかし、私はきっと、『東京』の大部分を思い知ることはできないだろう、と感じている。この曲の出だしの歌詞から、そう察するしかなくなる。私はこの曲とは遠いところにあるのだ。上記の印象を超える共感はできない。東京に生まれ育った者には、『東京』の内部に誘われないし、立ち入れない。「東京の街に出て来ました」。このフレーズは、不必要な嘘をつくことを除けば、口にすることがないのだ。
東京に上京してきた人々のことがわからない。どういう思いで東京にやってきたのか、また故郷から出てきたのか、故郷にはなにを残してきたのか、またなにを繋いでいるのか。東京出身の私が考えても及ばないことは、挙げたらきりがないだろう。また、「東京に上京してきた者」「東京出身者」と、ひとりひとりの人生をひとくくりにすることも、暴力的であることも感じている。ただ、それでも、わかり得ない一線が、かれらとの間で引かれている感覚が、痛覚に似たものとしてあるのだ。
大学時代に、ひとり暮らしをしている学生がいた。かれらの大半は、関東地方から北部にある地域の人で、新潟や東北の各所から、埼玉の地までやってきた。ひとりで衣食住の生活をしながら、そのうえ、大学での生活を営んでいた。私は、ひとり暮らしの経験がなく、また、その生活と併せている背景、「故郷とは異なる地で生きていく」こともなかった。想像するにも想像を絶する刺激が、かれらに注がれている。それ以上に考えることができなかった。ゆえに、ひたすらに強い人間だと思った。かれらを、逞しく、強靭で、またしなやかに生きている人間に見えた。同時に、私が知ることのない経験を、かれらはしているのだ、と思った。上記の、故郷から出て行くこと、知らない土地で生きていくことだ。そこには、どういった意味をもつのだろうか、と考えた。
しかし、当然ながら、わからない。当たり前だ。そもそも、他者をわかるかもしれない、他者がわからないことは痛覚だ、という考えは傲慢だった。人は皆他人であること、相手のことの少しも私はわからないこと、自分のことの少しも相手はわからないことを前提として、交流や関係が進んでいく。
それは、当然のことなのだ。私が風邪を引きかけるころに、かれらは風邪を引いていること、はたまたピンピンと暮らしていることも、私とは異なる風の吹く土地に育ち、この街で強く生きる人々がいることも。
話が広がってしまった。