青い雨

 青春の成分を細やかに解析したら、はたして鬱性はどれほどの伸びをしめすでしょうか。青春はひとを殺すことを、せんせい、若者のみんなに教えてあげてください。それを使命として、わたしのともだちを自殺からすくって。

 

 せんせい、テレビはみますか。せんせい、テレビをみてください。春になると、夏にさしかかると、秋を迎えると、冬にはいると、四季のあるタイミングで、蕾が花開くように、あるコマーシャルが流れます。それは、十代のおんなのこが、恋をして、想って、でも、想いが病になることなく、15秒か30秒そこらで幕を閉じる物語です。制服の女の子が、微笑んでいるの、うきうきと走っているの、叫んでいるの。きゃー、とか、わー、とか、なんでもいいけれど、とにかく、華やかに叫んでいるんです。わたしはそれを見て、物語に引きこまれてしまいます。この子は、わたしと同じ世代にいて、こんなに溌剌と生きている。微笑む余地も、走る場所も、叫ぶ空間も、まるで十代にはあらかじめ用意されている、みたいな。15秒か30秒そこらで、それくらいの分量で、わたしは「青春物語」をみせつけられるの。コマーシャルは卑怯です。1分にも満たない責任で、わたしやともだちを、物語にとじこめる。

 

 でもわたし、ともだちをたくさん失くしています。青春だねってよくいわれていた同い年のひと、年上のひと、年下のひと、なんでも、簡単に、死んでしまいました。どうして死んじゃったの、と、訊いてみるのもいいですが、訊いてみればいいのですが、答えはだいたい、おんなじこと。わかっていることを、聞こえたことを、掘り返すのは、ひどいことです。

 

 青春って、薄い膜のようなものだと思うのです。若者が泣いていたリ、殴られていたリ、舌を噛んで立ち尽くしているのも、青春、って膜で適当につつんであげれば、ね、青春のあらわれになるでしょう。きっと、わたしやともだちみんな、青春に守られながら、青春に暴力されているんだと思います。青春は、経験じゃなくって、病ですよね、せんせい。

 

 わたしは青春を抜け出します。きっと、抜け出せる。青春に殺されたともだちと、青春に傷ついているともだちと、そのあいだに立つわたしのために、きっと、抜け出せる未来を選びます。それが、いつになるのか、いつまで留まるのか、いまはなにもいえないですが。

 

 せんせい、この部屋を出るころには、きっと雨はやんでいることでしょう。梅雨のはじまりは、こんな静かな雨でした。誰にも気づかれない、長い雨のはじまり。でもわたしは、ちゃんとわかってあげました。この雨は、湿気に濡れる長雨を知らせてくれたんだって。せんせい、春の雨の色をごぞんじですが。緑と青とけむりをまぜた、ターコイズブルーによく似ているんです。梅雨のはじめをしらせてくれたのは、死んだともだちの心だったら、どれほどうつくしいことでしょう。緑に青い雨が、わたしたちのうえに降り注いでくれることだけが、青春のほんとうです。

 

 せんせい、でもわたし、雨上がりを待たず帰るしかないようです。せんせいが新しい街に移っても、わたしはきっと知らない街のまんま、生きていける気がします。せんせい、窓越しの雨をご覧になったことはありますか。わたしが去ったら、カーテンをひらいて確認してください。水でとかしたような、うすい、弱い、緑と青の色が、窓をきっと湿らせているから。