孤独と感謝と勝利

孤独をより意識させることは共感だろう。しかし孤独それ自体のもつ悲観は、イメージよりもずっと少なくて、思いの外心優しく柔らかくそして温かな拠り所であると信じている。

孤独は他者によって感ずるものであって、どれほど仲の良い、親愛に満ちた存在が身の周りにあろうとも、それでも他者であることに変わりなく、つまり、誰であろうと決して私ではない認識を強めるわけで、それがそのまま「孤独を知る」ということなのだろう。誰も私ではないから、でも、相手を知りたいと希求するのは、私の知らない領域を知りたい欲求と、「私の孤独」をちゃんと知り続けたい、もちつづけたいからだと、薄々にも感じている。

すべて私のためだけれど、その良き影響が相手にも与えるならば、これほど喜ばしいことはなく、だから共感というのは善だ。孤独だからこそ、私と相手を喜ばせるのだ。善すぎる。あと、すべて知ることはできないくせに、知りたい欲求はいっちょまえに元気なことが、人間らしさを感じて少しだけ可愛らしいと思う。


累計のアクセス数が、1,000を達成した。いつも誰かが読んでくれていることに、感謝の念が溢れてくる。そして、例によって伝えきれない。例によって、溢れたまま、言葉に転化できない。このタイミングでも、言葉もまた、手段でもあり、私の外部にあるものだ、と強く感じさせる。


ありがとう。
これからもよろしく。




それから、きょうのプロ野球のニュースは、広島の優勝で持ちきりだろうが、それが喜ばしいこととともに、もうひと試合、飛び抜けたスコアで、しかし僅差で勝ったチームがあるので、余裕があれば、どうかそのチームにも、ありったけの賛辞の言葉を送ってほしい。一ファンからの願望です。