朧月夜

 ついに抑えも利かなくなり、私をしきりに襲うわずらいごとがある。その中身は、できる限り思考を避けたかったこと、見て見ぬふりをしていたかったこと、そして、いったい何者か、私自身もつかむことができていないことだ。これまでも、このことで、何年ものあいだわずらい続けた。アウトプットしようにも、近しい言葉や表現が見当たらない以上、自分で作り出すほかない。そして未だなお、暗闇のなかにある光が知れないままだ。
 何度も、思考を打ち切ること、凍結することを考えたが、今回、ときがきた、と、やっと実行に移してみたのだった。すると、何週間か、わずらうことがなくなったのだ。やっとうまくいったかな、と期待をふくらませ、打ち切り、凍結の成功を夢見た。しかし結論から言うと、頓挫することになる。これはあまりにも、人生に近いものごとのわずらいだった。はじめから成功するはずもなかったのだ。
 ならば向き合うほかない。以下、アウトプットの一片を書いた。私自身、得体のしれないわずらいごとであるため、外側にあるひとにとって、よりつかみどころのない内容かもしれない。ので、散文詩の感覚で文字を追うことを薦めます。

 

 

 

 

 私に向けられた恐怖や愛憎の念を、ひとつひとつ溶かしていって、やがてひとつの温もりや安心にかえていく。そんな力が私にあればよかった。そこまでの愛が、私に存在していればよかったのに。
 よれつねじれつの波に心身を奪われ、飛沫と泡のはざまで荒く揉まれながら生きていた。そこに愛を見いだせただろうか。絡まり尽した私のなかに、愛が見いだせるとでも思えただろうか。
 静かに淡く、街を照らす月の裏側はみにくく、星空の下、呑み込みうごめく海はどす黒い。たとえ現実がそうであろうとも、さいごには嘘の月を見上げ、轟音の黒い浜辺に身を寄せている、そんな信仰に満ちた生き方をしていたい。私にとっての善を善としていたい。
 その先に、多くの存在に愛され嫌悪されながら、しかしまた多くの存在の、その誰のものにもなれない人生が待っていたとしても。潰れていくことも知らぬふりをしながら、善を愚かに追い続けるとしても。