〇〇の街のこと


私は、ただいま25歳で、その年月のほとんどを東京23区内で過ごした。25年間のおよそほとんどは、おなじ地域の、おなじ地区を1、2ど移っただけで、生活圏を変えずに生きていくことができた。それは、両親が当時小学生だった私への配慮だったのだろうが、ありがたいことだった。


東京に住んでいると、「東京」と呼ぶことにも若干のもやもやなり、なあなあになっている引っ掛かりを感じざるを得ない。それを、日本国人口の4分の1もの人たちが共通して感じているのかは知らないが、私は強く感じている、やんわりとしたいびつさがあるのだ。それは、平たい言葉で言うと、「東京って、どこの街を指すの?」という疑問だ。逆説的に、「どの街を挙げたら、東京を説明しきれるの?」とまたややこしいクエスチョンも浮かんでくる。「東京東京っていうけれど、東京ってなに??」……って言うと本当にややこしくなるな。そうだけれど。


たとえば、池袋、新宿、渋谷という山手線西側の街は、綿々とオフィスビルが連なる東側よりもわかりやすい特色を感じられるけれど、それはあくまで、池袋と新宿、そして渋谷であって、それが「ディスイズ東京」といえるわけでもない。でも、たしかに東京のなかにある街であって……ここらへんで、なんか、頭がねじれる感覚がたしかに表れはじめるころじゃないだろうか。


池袋、新宿、渋谷には、それぞれの街と、そこを通う人々の特色とアイデンティティとが灯っている。私にも、この文章のなかで池袋をはじめにし、渋谷をお終いに置いたのは、その街の愛着を反映したものだし、「渋谷の池袋化」なんてネット記事が現れたときには、「渋谷と池袋とを一緒にしないでくれ」との反発心が露わになったし、同じく渋谷の民も街への自尊心があるかもしれない。でも、それが東京のアイデンティティへと100%反映されるわけではなくて、あくまで池袋なら池袋、渋谷なら渋谷へのアツさへと与えているのではないだろうか。


でも、かえって、23区内の街をすべて述べたあとに、「ジーズアー東京」と言ったって、テスト前の単語の記憶と同じで、納得とは少し離れるだろう。

これ、東京って、どこにもないもので、総合体の名称としてあるものではないだろうか。ただ、津々浦々の街を集めた「日本国」と同じじゃないか、との疑問は、そもそも出発点から同じでない。もっと近いたとえだとしたら、ヨーロッパの欧州連合、EUだろうか。どうなんだろう。


ただ、街としての特色や自尊心をもっているとしても、やはりどこかに「東京の一部」の認識があって、それよりさらに強い、「東京の名を食ってやる」ほどの独立性がある街は、それほど多くはない気がする。街とリンクして、なにか象徴が共通してひとつ浮かぶ、「〇〇の街」が、戦略でなく自ずと浮かんでくる街は、東京にどれほどあるだろう。



はなしは代わって、今月初旬、私は広島にいた。昼間のJR広島駅南口の血気盛んな真っ赤な雑踏の中に、ひとりぽつねんと立ち尽くすので精いっぱい、それが最初の印象だった。

私は、盛岡、青森、仙台経由の京都、と、1週間にも及ぶ旅行のフィナーレに、中国地方の中心地、広島を選んだのだ。これまで、近畿地方から西に足を運んだことがなく、もちろん通過したこともないために、私にとって、神戸より西のいつまでも「未開の地」との認識でいてしまった。かろうじて、近畿地方まではこの世、そこから先は崖になっていて、大海がまっさかさまに亜空間へと堕ちていく、そのイメージで相違ない。西日本の濃度が高まっていく地方を、私の中世観インマイヘッド状態で放置してはいけないし、せっかくだから行ってしまいたい、と、無理やりに旅程に広島をねじ込んだのだ。


この日の広島は、真っ赤な服を身にまとう人々で溢れていた。この街に根を張る球団、広島東洋カープの試合が、夕方から行われるのだ。京都から向かう朝方の電車の中で、あわよくば、とマツダスタジアムの空席をネットで探したが、すでに完売していた。残念に思ったが、カープファンにとっての大切な大切な試合だったようで、1席ぶんでも邪魔しないでよかった、とのちに安堵したのだった。


駅ビルに入ると、ファンだけではなく、売店の店員さんが全員、カープのユニフォームを着ている。しかも、安っぽちいユニフォームではなく、しっかり背番号が宛てがわれたものだった。西武ライオンズのお膝元、西武線沿線で生活している身でも、ひとりひとりに異なる背番号を選んで着ている、そのアツさには驚いたし、さらに眩むほどでもあった。


駅から出よう、と、路面電車乗り場へ向かうと、ひっきりなしに電車が行き来し、乗り方降り方にも独自性があって、しかも車掌さんもいて、走り出せばひっきりなしに乗客が入れ替わり、とにかく不慣れに次ぐ不慣れに、さらに目眩がする気分になった。キョロキョロしている間に中心街にさしかかり、ああ、活気があるなあと驚いている間に、電車は長い橋を渡る。すると突如現れた建造物が原爆ドーム。ああ、こんな中心地にあるんだ、街の中に自然に溶け込んでいるのかと驚きながら、宿泊地の最寄り駅に着き、オロオロしながら車掌さんに運賃を渡して降りたのだ。


ホテルに入り、いったん落ち着くことにした。なんだ、この街は。べつに大海の崖になってはいなかったけれども、いったいどうして血が湧くような活気に満ちているんだ。旅行の終わりにさしかかり、私のアンテナの感度も高まっていたのもあるが、これまでに巡ったどの街よりも、精神的に弾けている印象があって、がっつり参ってしまった。でも、参るだけでは勿体無いので、早々にホテルを出て、また路面電車に乗って中心地へ向かった。ちょうど17時半ごろのことだ、ちょうど市の人口、100万人がうねる時間帯だろう。どこもかしこも人でいっぱいだ。お腹が空いた。



話が長くなってしまうので省いていくが、街を歩いていくうちに、ついでに夜のラーメンを食べてお腹もみちていくうちに、広島の熱に慣れてきた。あくまで観光客としての印象だけれど、楽しい街だと思えてきた。旧市民球場が原爆ドームのすぐ近くに、中心地のすぐそばにあることを知り、歓声が街の中にしっかりあるのだな、とまた驚いた。


私が感じたのは、とにかくとにかく、広島はカープの街だ。そして平和を担う街だ。それも、無理やりにではなく、それが自明の理のようにそこにあって、違和感がないのだ。街に、人々に内在しているようにも感じられて、驚愕に似た衝撃があったし、新鮮で仕方なかった。


すっかりカープ好きになった私が東京に帰ったときの、その精神的な落ち着き具合にも、また驚いた。「〇〇の街」のはなしでいうと、「〇〇」がすべてのエネルギー源の街から、「〇〇」の言葉があまりに多様な街の総合体へと移ったわけで、両者ではまるで異なる姿勢を示さなければいけない、と感じたのだった。


私個人として、広島に戸惑い楽しく感じられたのは、社会現象が起こったときの動揺とお祭り騒ぎの楽しさに似たものがあったからだと思う。2016年はそういうところで、楽しい年だった。ポケモンGO恋ダンスシン・ゴジラと君の名は、に微熱のダンスを踊り狂いながら、「おお、お前も熱にかかったのかい?え、君も!?」と繋がっていく感覚、同じが増えていく感覚を味わうのは、たいへん久しぶりで、快感と安堵感があった。広島にいて、それに似た、同じ感を得られて、大いにその空気を吸って楽しんだ。


街にいて、同じ感エネルギーを得られるというのは、強い愛着を抱くだろうし、帰宅したような気になるだろうな、と思ったが、東京もないわけではないだろう。ただ、そのやり方が少し違って、ひっきりなしに明滅する「〇〇」を、明滅の間からひとつ捕まえて、同士をネットやグループで見つけだして、膨らましていく、そういうやり方で、とにかく自分から積極的に浴びせていく、強気さをわが身から搾り出さねばならない、そんな印象を受けたのだ。


今、私は、「〇〇」がはっきりしている街が好きだ。東京でいったら、数少ないなかでも、上野という街が好きだ。東京のなかでも少し浮いているようにも思える上野の、「パンダの街」とか、「芸術の街」とか、その統一感が人を引き寄せる心地よさがあって、私にとって、その部分から「取り戻した」と思える。


東京はとても難しい街だと感じた。能動的、積極的に向かわないと、その街では楽しめないのだろうか。そうでないところも東京から見いだせるだろうか。その側面を知ってみたい。