冬影踏みしきる

どうも雨の日は身体にかかる重力が強まるもので、慣れっこになることなく27年もの月日が経った。

そんな日の朝の山手線は1人あたりの容量が1.2倍に膨れていて、ドアの隅で圧縮袋の掛け布団みたいにくちゃくちゃになった私は、辛うじて上空を見上げた。柔く握ったティッシュみたいに間延びした雲が果てしなく広がり重なっていた。ふと、これは誰の仕業だろう、と物想いに耽ってみようとも、遅延の煽りを食ったまま、この山手線は自転車よりも遅く進む。


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昨日、雪が降った。雨にしてはフワッと粒立っていて、音もなく落ちていったのを感じるや否や、無性に肌寒く思える鈍感な体温調節の機能だ。寒い、って、誰のどこがそう言っているのだろう。


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酒を飲もうかと冷蔵庫の缶ビールを手にした。が、すぐに戻し扉を閉める。ぱたん、と、なんとまあ、乾いているんだか湿気ているんだか煮え切らない音だこと。
飲もうにも、思い出せる肴があるようでさして見当たらず、酔おうにも酔えない。どっちでもいいことだがどちらかを確実に選びたいし、選んだあとの予想図はいつも気持ちのピークを過ぎているし。
缶ビール、飲みたいと思った矢先に、何かの反動で強烈に、そんなもん飲みたくもないと眉を潜めることもある。


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眠る前の、消灯する瞬間がちょっとだけ苦手だ。眠らなければ明日に響くから、真っ暗ななかじっとしているけれど、私はじっとしているときに、いつも誰かを待ち続けている。
カーテン越しの夜の方が明るいのに、自室はあからさまに真っ暗ってどういうことだか分からなくなり、もはや夜ってあっちの方が正しいのかもしれない。あっちの夜から誘われているけれど、私はこっちの夜で眠らなければならない。きっと、あっちの誘惑から勝つために、もっと大切な誰かを待ち続けている、という仮定。
しかし、それは誰の仕業か、誰も知れたものではないのだ。


明日の想像して眠る。