対岸

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精神病って、精神世界の「ここ」と「あそこ」との橋が掛かる瞬間でもあるから、罹患とともに、これまでひとつしかなかった世界に対岸の世界が生まれることになる。精神の大いなるパラダイムシフト。メランコリーの深淵と悲哀。今立っている「ここ」は「こっち側」だった、と図らずも知らされる。

橋の「あっち側」には濃い"もや"のかかった不気味さのみが見えるばかり。「在る」けど「不在」な向こう側がつねに視界に入りながら、渡るか否か不安定さのなか生きることになる。


日々、対岸の存在を気にしている。
何も見えないあそこには何があるのだろう。


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夜。
赤羽を発った宇都宮線は荒川を越える。
そこは東京と埼玉との境界である。
鉄橋をけたたましく行きながら、湿度の高く密集した赤羽の街から、すぐに光の消えた車窓へ変わる。鬱蒼と繁る草地の間を河川が悠々と横たわり、川面の先には月が浮かぶ。景色のなか唯一の光が波紋に揺れていた。生い茂る草が風に騒ぐように四方に雪崩れている。

河川敷を越えると、すぐに川口の街に入る。
赤羽をトレースしたような密集した街並みを、何もなかったかのように、颯爽と過ぎていく。


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今週も働く。
今週は週4勤務。
残りの1日は診察日だ。

色々と実務的な脳を働かせてせっせと働いているが、長時間とはいかず、適宜休憩をとっている。
場所を移動し、別階のフロアの椅子に腰掛けると、スーッと心が落ち着いていく。吹かしに吹かしくさったエンジンが徐々にゆったりと動きを緩めてくれる。ホッとする。なんとも言えない脱力感がむしろ充電を後押しするのは不思議だ。

眼下には、無数のビルを縫うように首都高が伸び、そこを幾多のトラックや乗用車が絶えず行き交っている。
今、視界に入るだけでも、多くの人が運転している。
物資を運んでいる者もいれば、客を乗せて目的地を目指す者もいる。社用車で取引先へ向かう者もこのなかにいるだろう。

みんな働いている。
その中には俺もいるんだが、
その瞬間は、なんだか少し遊離した場所にいるようだった。


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