7月8日

汗がたまる、湿度の高い真夜中。

東京はこんなにも晴れていて、そういえば昨日は七夕でした、テレビの中継で泥水と濁流に浸しかかった笹の葉が、カラフルな短冊とともに、右に左に荒れているのを、ただ眺めているうちに、ベガとアルタイルの逢瀬はすぎていきましたね。


無性に思い出すのは、7年前の災害のこと。人は惨めで、自然はさらに惨めで、人々が津波に呑まれる瞬間に視界を外すテレビマンの優しさもまた、惨めにすら思えた、電波越しの経験。


ミルキーウェイを挟んだ織姫と彦星の一年に一度の逢瀬」。プラネタリウムの女声アナウンスをただのんびりと聞いていた小学生の私が、なぜに天の川がいかに遠くなければならないか、一年がいかに永くなければならないか、未だ知るはずがありません。


私たちが生きるため、または人間同士のはるかに永い距離を結びつけるため、だからこそ天の川と一年をはるかに遠ざけたまま、2018年の七夕が過ぎていく。そんな祈りというものは前近代的で滑稽な儀礼でしょうか。

しかし祈りを捧げるほかなすすべないとき、人間は前近代に滑稽であることに、少々ホッとすることはありませんか。


エゴに固まり生きるなかで、全人類に意識を向けている風合いの澄ました表情など、格好よくもなんともないエゴイズムの最たるものだ、などと恨み節を連ねる人のために祈る夜ですね。

おやすみなさい。よい月並みの夜をお過ごしください。