New Normal の、ブルース


人の心は寄り添い合い生きていく。
しかし理想にすぎないと、
私たちは密かに嘯いていた。



私たちは、各々の価値観と善悪とすれ違う優しさまたは狂気の全てを、一瞬の表情に混ぜ込ませては、誰かに気付かれるのを恐れながら待っている。美術作品を2メートル先から眺め解釈し納得し、尊い満足を得る者たちが、いつ自分にその眼差しを向けてくるか、慄きながら興奮し待ち望んでいる。
求める水分量の6割に満たない供給量を養分にして、もっと欲しいもっと欲しいとせがみ切ってなおも6割未満の水分を頂戴して自身の身体や心を潤して、1日、2日、3日と命を繋いできた。



まさかこの4ヶ月で、こういった承認欲求の循環がぴたっと止まってはならなかった、と、誰が予想できただろうか。いや、承認欲求がこんなにも生存に欠かせないものだとは、誰が信じられただろう。



新型ウイルスは私たちに容赦なく襲い掛かった。人を人と思わない世の中とか、資本主義は人の命や優しささえ消費社会に還元されるだとか、さも人間の尊厳に反すると言っておきながら、日々人のもつ柔らかく温かな部分に触れ続けてのうのうと生きていた、のぼせ上がった私たちに。


他者がいない世界を生きることは、無酸素状態より喫緊で難しく、悲劇でしかなく、死にもっとも近かった。私たちには、人と寄り添い合う瞬間がなければ一向に救われない苦しさがあった。それも、他者との通わせ合いで癒されるものが、心のほとんど大部分を占めていたのだ。
理想でしかない、と認識していた事が次々と機能停止して気付いただろう。理想扱いしていたことは現在進行形のライフラインだったと。



焼け野原で立ち尽くしている私たちに、
一瞬でも生々しい生きている実感だけがいい。