前口上

 昨日書いたことを読み返せないのは、自分の書きあげた文章が、翌日には未熟なものに思えるためだ。
 未熟がずんずんと積み重なって、私のブログ歴は伸びていく。それがむず痒くもあり、単純にイヤでもあるため、クリックひとつで済む手軽さに甘えて、これまで簡単にブログを閉鎖してきた。ふと振り返り、数々の短命ブログの上に、私の未熟さが凝縮された文章がいくつも醸成されてきたのだと思うと、やっぱり閉鎖してよかった、と、ホッと胸を撫でおろす思いだ。ただ、その反面、針が肌にささったような局地的な痛みも、感じずにはいられない。あのころの、未熟のミルフィーユ的などうしようもないころの文章を、もういちどでも読めたら。余裕があるときに、一瞬だけでいいから、むしろそれで充分だし、ちらっと読める事ができたら。もしすべての文章が残っていたなら、それはそれで、大いに安堵し、胸を撫でおろしたのだろう。

 


 あたらしく立ち上げたこのブログで、どういう文章が書きたいだろう、と考えてみた。それだけで数日分もの時間が必要だったし、それでもなおあいまいで、示唆的で、比喩的なものしか浮かび上がらず。それで、「答えはわからない」という、とてもモヤっとした結論で幕を閉じるほかなかった。ただ、振り返ったときに嫌気がさして、全部の文章を削除するようなこともなく、なんとなく続いていければいいと思った。あとは、これは感覚的なものなのだが、私のなかで、何かを卒業しながら、他方で何かがはじまった心地がしているのだ。だから、私の細胞の何かが、確実にはじまっていることを、どうにかしてどこかに記録していたいと思った、のも確かだった。
 ここはオープンな場であるから、メモ帳と同じ扱いをするわけにはいかない。そこで、友達に話しかけるような感覚でいようと思う。だから、この場を教えるのは、私の数少ない友達だけにしておく。ふと思い出し、この場にアクセスしたとき、文章が増えているかそうでないか、がいいですね。

 


 それでは、また今度。