絵の課題

‪小学三年生の美術の授業で、黒い台紙にポスカで線を重ねて、花を描く、という課題が出された。私は自由に描きたくなり、色とりどりの線を、縦横無尽に繋いだり、交じり合わせたり、分岐させたりしていた。‬

‪楽しい。私は溌剌としていった。跳ねるような心が抑えられなくなるたびに、ポスカを手に取り、黒い台紙の上を滑らせた。そのうちに、黒の領域が、自由な線に侵食されていく。その絵はまるで、メガロポリスの地下鉄路線図のようだった。なんの意味もなかったものが、あらぬものと繋がった感覚に、私は快感さえ覚えた。‬

‪しかし、そこから、雲行きが怪しくなっていく。そばに立ち寄った美術の先生が、「ちょっと、貸してね」と私の絵を眺めつ、「これは出来があまりに良いから、僕がコンクールに出展するよう、働きかけてみるよ」と、優しい口調のまま、私の絵を美術室へ持ち帰ったのだ。代わりに彼が持ち出してきたのは、真っ黒の台紙だった。「花の絵を描いてみようか」と、あらためて優しい声で私に命じた。‬

‪小さいながら、次第に悟るようになる。「これは、いけなかったんだ」。望むような絵を描かないと、静かに取り上げられ、なかったことにされる。たとえあの絵が、カラフルな線の混沌のみ見出されるとして、しかし描いた私にしか見出せない、溌剌さと快感が熱を帯びているとしても、もろとも、どこかへと行ってしまうのだと。‬




‪時間を数年引き上げて、私が‬中学二年生のこと。同じく美術の授業のことだった。毎回、授業時間中には仕上がらない私は、放課後に美術室で残って、作品を仕上げていた。

だいたい、二ヶ月ぶんは用意される作製期間は、用具を忘れたフリして、美術の教科書をダラっと読んでいるうちに消化する。

イデアを練っていないわけではない。ただ、長くて二時間という授業時間で区切られてしまうたびに、アイデアの火も消えてしまうため、できれば、一点集中に、何時間もかけて、一連の作製をこなしたいのだった。そもそも、アイデアが浮かぶまでが長い。そのくせ、浮かんでからが早いため、そのような急場しのぎの方法で、逃げ切る癖がついてしまったのだ。

それとなにより、人と異なることをしていることが心地よかった。人と異なることをしても良い、その環境にいられることにホッとした。美術の授業は、ひとりひとりが作品に向き合うため、進捗度なんて人それぞれだ。それなら、用具を忘れてくる奴だって、そのうえ美術の教科書を頭を空にしながら読んでいる奴だって、いるはずなのだ。それを許される環境が、美術の授業にはあったのだ。板書の授業では、それはなかなか困難なことだ。


で、話をやや戻す。
美術室での放課後の居残りは、ひとり、またひとりと完成させ、教室から出ていって、空気の密度が薄くなっていく。クラスメイトがまばらになって、ぽつぽつと作製に勤しむ。私は、それが良かった。同級生の人を「クラスメイト」から離れて、「ひとりの相手」と思えるのは、このくらいの空気の密度でないと実感できなかったのだ。ただひっそりと、仲間意識を抱いたり、話しかけたり、短く談笑したりする、しかも、アイデアもよく浮かぶ、あの時間が好きだった。


で、ちゃんと話を最初に戻す。
そのときも、また花の絵の課題だった。四角や丸の形をしたペーパークラフトに色をつけ、重ね合わせ、花を完成させること。他の仲間は、どんどん花を完成させて、どんどん先生に提出していく。いっぽう私は、アイデアに行き詰っていた。固まっていた。

なんだよ、できないじゃないか、なにも浮かばない。花を作れなんてナンセンスだ。美術に自由はないのかこの教師には。などと文句を心の中で連ねながら、図形を組み合わせていく。

花、花、花……。ああ、もう、いいや、いったん、好きに組み合わせてみよっと!私は、幼児の積み木遊びのように、予測のできない完成形に期待しながら、図形のペーパークラフトをカチャカチャいじっていく。四角も円も、ごちゃ混ぜにして、適当に、組み合わせてみる。

と、ここで、あるアイデアが閃いた。丸を組み合わせると、泡のようになる。水中に連なる泡。水色に濃淡をつければ、より一層それに見えるじゃあないか!

そこから、私の創作意欲に火がついた。火がついたなら話は早く、無秩序に思えた図形の束が、どれも関連のある構成要素に思えてきた。色をつけ、ボンドで接着し、ボードに配置して、完成!数時間かけて悩んできたものが、一時間弱で完成。呆気なく終わってしまった。

と、自信作であったから、先生に嬉々として見せに行った。私の作品を目にした先生は、「まあ〜、面白いわねえ」と微笑む。ただ、そこから、また雲行きが怪しい。彼女は、「でも、これは花じゃあなくて、魚だわ……。課題と反しているわ、受け取るけれど……」と次第に萎んでいくように、指摘をしたのだ。

対して私は、内心、「とは言いつつ、課題なんてものは各々が決めるものだから、いいじゃんいいじゃん、大丈夫大丈夫」と、すっかり浮かれきっていたので、「はーい!」と放って美術室を去って帰路についたのだった。



その学期末。手渡された通知表を開いたときに、私は心底落ち込んだ。美術の評価が、五段階中、三だったのだ。要は、「普通」の評価。なんだよ、私のあの魚は無個性なのかよ、と拗ねかけた私は、いや、待てよ、と立ち止まって考えてみた。これは……課題に背いたことへの評価、なのかもしれない。この「三」は、決して「四」より上には行かせられない理由がある上での、その数字なのかもしれない。


そのとき、また、奪われた感覚が蘇った。それは溌剌さと快感を強奪された、あの感覚だ。そして、どうしても従わざるを得ないものは、有無を言わせず従うのみで、その際に捨てていくものは、まさに溌剌さと快感、で良いのだろうか、という強い違和感、さらには、寂寥感もまた、虚しくも覚えたのだ。


なにに触発されて、いま書き出したのか、思い出せない。ただ、そのふたつの体験が強く引き出されたことは確かで、書きたくてたまらなくなったために、一点集中、書き連ねてきたのだった。


いま、その感覚は薄れた。むしろ、その課題という制限が、縛り付きのゲームにも思えて、縛りのあるなかでいい結果を出すことが、とても楽しいのではないか、と感じることも多い。当時のことを振り返るときに、何度も、捉え直すものがある思い出は、良いものだと思った。