「突発的」のこと、突発的な書き手のこと

 ※とにかく自由に書きたかった。セオリーとはズレた書き方ではあるが、自分自身で許した。許してほしい。



 足跡3つほど手前のころに、脳細胞が活発化した時期があった。小説が(つくり話が、知らない人の話が)書きたい。それだけを頭が占めていた期間のことだ。突発的なものだった。理由もなく身体が沸き立った。手を動かしていたい。指を走らせたい。設定された到達地点に向け、魂を抜かした我が肉体を走らせ続ける、少し危うい感覚を味わった。


 少しごつごつした表現になってしまうが、文章を書くには、自己の魂を身体に宿し、指先に全神経と思考をゆだね、爪の先に小さな火を灯しつづけるような、鏡合わせの私をにらみ続ける根気と辛抱強さが求められる。
 しかし、これがつくり話となると、姿勢が変わる。魂が身体を抜ける、と言えば説明不足になるのだが、指がひとりでに動いていく感覚が確かにある。つくり話を書くうちに、文章をつなぐ身体と魂が分離していき、誰が書いたのか、誰の意思で書き続けているのか、誰のために書きあげたのか、見当がつかなくなっていく。さらには、それすら疑いをもたない。書いている自分を起点にしながら、誰か他者の話を書いている、その捻じれによるものなのだろうか。分からない。ただ、ひとまず、「魂を抜かした我が肉体(もはや身体とも認識していなかった)を走らせ続ける」感覚というのは、説明すると上のようになる。


 当時は、体内でなんらかの信号が発せられたのか、毎時毎秒、新たなアイデアが瞬く間に浮かんでいった。記憶容量が目いっぱいになるまで、物語はひとつ残らず保存されていた。実際に小説を書いていた高校生以来の現象だった。脳が喜んでいる、私が喜んでいる!溶ける前の氷室の氷か、お湯を注がれたフリーズドライみたいだ、と可笑しくなったが、その純粋な感情に身を任せることにした。


 しかし、長くは続かなかった。3行で力が尽きた。1頁を書くことすら厳しかった。4行目のターンで文書ファイルを上書き保存し閉じた瞬間のことだった。(それは悲惨にも、)消えた。(楽しいくらいだったが、)ひとつも取りこぼすことのなかった物語の数々が、一瞬ですべて記憶から消え去った。身体中が冷え切った。悍ましい体験だった。


 高校生のころを思い出せば、3行どころか、20頁は一気に書けただろうか。それが、こんなにバッテリーが弱くなっていたなんて。切ない。やはり、慣れない、習慣がなくなる、勝手を忘れる、とは怖い。いちからやり直しだ。立て直しか。
 でも、これは、ただの慣れの問題だろうか。そのほかの、もっと、ピン留めされている以上、どう足掻いても変わらない、という恐ろしいことではないだろうか。そう考えるから、そう思い込むから、現象として表れてしまうのか。突発的な衝動は、突発的に終わること、盛り上がりはやがて去ること、それに何らかの情報を付加すると、たとえば「哀しい」とか「何をやってもだめだ」とかになるが、そうなると、ダメなのだろうか。


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 このところ、わけもなく沈んでいる。それも突発的に始まったのだ。ここに文章を書きたい、と思い立ったのも、突発的に、だった。本当は書きたくなんかない、なにも言語化していたくない、と思う。拒絶の意思が固くなっている。苦しいな、心の中で煮詰めているものは何だろうか。あしたも苦しいとはいいきれず、しかし何も自分自身に告げられない。