哀しみを薄墨

哀しみの一文に心奪われるのは、
今まで、私が、哀しみ、というものに過敏だったからなのだろうか。

この哀しみを、蓄積した哀情を言語化することにためらいがある。
それは、言語化によって取りこぼされる哀しみが、
全体の大半を占めているからだ。
(このためらいは、あらゆる感情を言葉に変換するときに、
多少犠牲にしなければならない理の反映だろうか)

また、哀しみのなかにも甘ったるさや笑いが含まれていて、
たんなる青や深緑のなかに、赤や黄が点在しているためだ。


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私にある哀しみを焼却したい。
約25年もの蓄積、その目いっぱいの容量があふれる前に、
流せる場所を探している。
それすら哀しいと思う。