昨晩、ふいに、全自動の動作の一部のような脈絡のなさで涙が流れ、
それから、気持ちが沈んでしまって仕方なくなった。
なんでもなく涙が止まらなくなり、
つられて心が締め付けられる痛みにやられ、
なにがなんだかわからず、手にこぶしを作って、
爪の噛みあとを指の腹に残した。
朝になったら、少しは切り替わっているかな、
と、期待しながら夜を流した。
しかし、日が差したなか目を開けてすぐ、
涙がつつつと垂れていったのを感じると、
「ああ、ダメかあ」と嘆かわしく呟くしかなかった。
しかし、そんなうす暗い空間でもちょっとした光があるのは、
少し、私のなかに冷静な姿勢の自分がいることだ。
ただただ辛い心境になってのたうち回っているわけではなく、
その辛さにやられながら、他方で、
「なぜこれほど苦しんでいるのだろうか……?」
と原因究明と解決に努めている。非常に頼もしい。
そうやって、二面性の私がともにいるのは、
その理由が単純であるからだろう。
とっても疲れているのだ。
疲労が蓄積して、限界値に達しているからだ。
なにしろ、なんの理由もなく、
情緒が落ち着いているのに涙を流すことは、
それなりの背景がなければできる事でもないだろう。
そして、私にとっての「それなり」は、ただの疲労なのかもしれない。
だから、自分自身の警告に反応する私というのもいたのだろう。
今も、潮の満ち引きのように、
押しては引き、入っては戻り、の繰り返しのなかにいる。
少し押し気味だ。心に圧をかけられていて。
不思議だが、辛くなりかけている状態は、
ほんの少しだけ、なまめかしい心地になってしまう。
すぐあとに裏切られることがわかりながら、
「いいよ」と抱き寄せるような、
あきらめと甘さと優しさが絡まった心地が、静かにせり上がっていく。
一連の、すべての感覚と感情を含ませた「辛さ」を背負う。
この病気になって8年にもなるが、
まったくつかめていない。
やっとつかみかけたときに、
心に揺さぶりをかけ、崩していく。
長い付き合いだと思うが、
これからも続くだろうなあ。
どうにか手懐けたい。
身がもたない。