私の住む区は、午後5時半になると、
防災無線を通して、少し褪せた音色の「夕焼小焼」が流れてくる。
20年以上同じ場所で育ってきた身としては、
毎日聴く音色に慣れていたのだが、
しっかり聴いてみると、
その音色の掠れ具合が、まさに夕焼け小焼けに似合うのだ。
ナレーションも好きだった。
小学校から中学校にあがるかどうかのころまでは、
現在のものより、台詞がひとつ、加えられていた。
「明日もいい1日でありますように……」というもの。
このひとことが、
夕暮れの哀愁と、そっとそばにいるような優しさを引き立てていて、
子どもの私は、口には出さないまでも、気に入っていた。
同じような感慨を抱く人は多かったのだろう。
10年ほど前、夕暮れの放送の音声が更新されたとき、
末尾のそのひとことが省かれてしまったが、
区は、広報誌に、
「ナレーションが代わってしまって悲しい、戻してほしい」
という区民の切実な要望をわざわざ取り上げたのち、
わざわざ「できません」とつれない返事を載せていた。
子どもの私でも、同志が少なくなかったことは容易に理解できたが、
喜ぶには時すでに遅し。
20年以上住んでいながら、
土日は放送をしないことに、今日ようやっと気がついた。
なんだ、しないのか。すればいいのに、と首をひねったが、
いや、日曜日に焦げたような「夕焼小焼」が流れてしまったら、
ちょっとマズいかもしれない。
右フックがもろに当たってパンチドランカーでも起こしそう。
「暗い日曜日」ばりに。
記事に載せている写真について触れていなかったが、
この写真は、1年前の同じ日、6月11日のもの。
時間が経つ早さ。ねえ。