早稲田・篝火

Uターンラッシュ手前の街の匂いから、冬を感じている。

父の病院からやや歩くと坂を下った先に早稲田がある。日本有数の学生街も、まばらに落ち着いており、ひっそりとした住宅街の一部になっていた。
チェーンの喫茶が店を閉じるなか、歩く道中に純喫茶を見つけて入る。ストーブで暖められた店内は煤けた煙草の匂いが充満し、扉にかかる結露が湿気を生んでいた。客はまばらで、新聞を読む者、PC作業をする者と、それぞれにひとりの時間を過ごしていた。古めかしい店内には幼少期に感じた祖父母の家の匂いがした。ブレンドコーヒーが甘く苦く、舌先で転がせる温かさが心身を解す。

17時をまわったあたりで日は暮れて、純喫茶の暖色蛍光灯が、夜の海に浮かぶ篝火の幻想的な情景を思わせた。篝火の灯るなかに私がいて、周りの黒々した荒波を歯牙にもかけずくつろいでいる。

これからは、父の面会が終わったあと、早稲田へ下りてこの喫茶に行こう。

創作『此岸より』

「青春」を遠く眺める場所に身を置いた私は
過去を懐かしむには早いとはいえ
もうこの手に「青春」はいない

ある人がよく泣きよく嘆き哀愁を着た場面に
またある人が居合わせただけのひとつの事象から
尊さを贈り合い輝きを与え合う
夢を誰もが見ていたのだ

「青春」の効力が切れ始めた時
薄目を開けた視界の先には
絶えず明るい街並みが広がっていた

ただただ涙を呑み別れを告げる
明るい街のひとりになった


****************
essay

青春期は、余りあるエネルギーが万能感と不全感の表裏となり、それらが激しい痛みを伴って自分自身を追い詰める。全ての感情に美しさが与えられることも青春期の特徴であり、多くの人は日々漠然とした哀しみに暮れる。
しかし、いずれ青春期は抜ける。万能感と不全感、与えられた美しさは幻想であり、自分自身が作り上げるものであると知る。

私たちは、今から美しい。

創作:花を持ち帰る

ひとりの家に花を持ち帰り、
暗い部屋に暖色の灯りがともる。

駅前花屋の美しい花の中から、
ひときわ目を引いた花を買った。
牛乳瓶に活けると、ちょうど背の丈が合う。
茎の緑が色濃く発色している。
人間でいう血管に滞りなく栄養が注がれているのだ。

今萎みはじめた花弁ひとつひとつに命が注がれ、
やがて再び大輪の花を咲かせるだろう。

たとえばコーヒー、あるときはカモミール

カフェインを摂りすぎるのは身体に良くないそうだ。煙草と似たような作用で、やめられなくなるか、やめたあとに禁断症状が起こる。たとえば、震えとか目眩とか。



とはいえ朝に飲むコーヒーは格別なので仕方ない。
職場で、給水機から簡易的に淹れたコーヒーの香りもまた筆舌しがたいので、仕方あるまい。
夕方、仕事終わりの疲れを飛ばすその苦味はプライスレス、仕方ない。



シャキッとしたいときも、なんだか漠然と悲しいときも、ただ単に手持ち無沙汰なときも、どんな状況にもコーヒーはよく似合う。
様になるから飲んでいるわけではないつもりだったが、いや形から入るタイプには良くありがちなことだろう。その時々をコーヒーで様になるなら験担ぎしても罰は当たらないでしょ、みたいな。


すべては、シャキッとパリッとして再び生活に戻るために。


***********


ただし、夜に飲むコーヒーはタブーだ。なぜなら眠れなくなるからだ。
それが寂しくて堪らないときがある。夜中、ふと寂しさが高じてコーヒーを飲みたくなり、結局明日のこともあるから飲まずにいるが、「なんだこの一連のやつは」な感傷が何乗にも掛け合わされて、しみったれったらこの上ない。

そんなときに飲むカモミールは、たいへん気分を和ませる。しかもその時になって、心をいっぱいに詰め込んでいたことにはっと気づくのだ。


ちょっとした無理の積み重ねは、塵や埃の小ささとはいえども、いやだからこそ、気付いた時には満杯になる。この世の中はスモッグまみれだ!
皆さんご存知の通り、塵や埃を捨てず生活するのは並大抵のエネルギーではない。正常ではやっていけない。ともすれば、スモッグまみれのこの世の中には殊の外、正常な状態でない人が多くいるんじゃないだろうか。


どんな状況も様にさせるコーヒーと、いっぱいになった心を解すカモミール

だから、夜中にコーヒーを飲むのは控えてみよう、カモミールにしてみよう。
そのあと、どうせ眠れないだろうが試しに布団に潜ってみる。それでやっぱり眠れなくて、さらにもやもやした心情になりつつ、疲れにより自然に涙が流れた直後には、ちゃんと眠りにつけている。よりによって爆睡だろう。


***********


1日のなかには、人っぽい、愛おしいこの一連の行動が必ずある。これを1週間、1ヶ月、そして1年と積み重ねて、結構しぶとく生きている。


年齢とは、人っぽく愛おしい行動を重ねた証なのだ。


私は27歳です。
貴方は何歳ですか。

読書をしている

‪心の中が散らかったときは、いつも読書をする。


内側に閉じる行為のなかでも「読書」は根本になるのもしれない。‬
‪録音していた菊地成孔のラジオを久しぶりに聴いた。たくさんのオンエアからシャッフルで選んだその放送回は、ちょうど海外の音楽ライブで銃乱射事件が起こった直後の「追悼」回だった。

放送で彼は、本というものを「自殺的であり他殺的である(が、音楽はその対極にある)」と表現していた。この放送はかつて聴いたことがある。が、この台詞を聴いたのは初めての感覚だった。しっかり聴き取ったというのは、それほど心に捕まるものがあったからだ。


本を読みたいと思うのは、読書する時間だけ、内側に閉じていたいからだ。イメージは睡眠に似ている。夜、ウジウジと悩んでいようと、朝に目が覚めるとすっかりクリアになっている。同じく、読書をすることで頭とは別の世界に想像が飛ぶ。その間に、頭の中では整理や掃除がされている。



いつの時にも読書はいいなと思えるが、しかし菊地成孔のあの言葉も共感する。本、もとい読書、もとい別の世界に飛ぶ行為は、危うい雰囲気を感じる。たくさんの他者が自分のイメージの中で生きていることが、奇妙な気にもなる。ドラッグに走る人間の、その業の、根本に触れた感じ。


あと、人と人との間では「会話が成り立たない」と感じることはたくさんある。複数人のなかで「独り」だと寂しく思うこともある。でも、読書にはそんな経験がない。



それは凄まじいことだと思う。
でも、やめられないんだよなあ。
読書やべえなあ。


以上、誰もが既に心のどこかで知っている話をしました。

2020は創作の年に

もちろん、仕事中心で。
「仕事とプライベートとの両立」は大事だと思い、
来年、2020年のプライベートにつきましては、

いざ、創作!

との標榜でやっていきたいなと思っております。

 

5月の文学フリマ東京に1年半ぶりの出店し、
その翌月には盛岡へ。
何をするか?もちろん文学フリマの出店です。


これが自分のプライベートということで。
サークル名を考えあぐねていましたが、「緑の雨」で出店します。
ひとつよしなに。

2019、乗り切るぞー!

月(2019)

‪心が理解するには時間が掛かる。


緊張の糸が張る状況とは、何らかの防衛本能を立ち上げる場面だ。自分にとっての踏み込めない場所は、おそらくは誰にとっても不可侵な領域なのだと思っている。

人が亡くなるのは誰にとっても分からない。


とはいえ張り詰めるのも疲れてくる。
今夜布団に入り込み、録音した深夜ラジオを聴いた。ほぼ毎日聴いていたとはいえ、パーソナリティのトークが「人の会話」に思えたのは今夜が久々のこと。心のひだに触れるようなトーク……と言うにはあまりに下ネタが炸裂している。ケラケラ。

ベランダに出ると夜風が冷たく感じられた。もう冬は近い。と呟くのはやや牧歌的だった。ほぼ今は冬の夜なのだ。月が冴えている。月光が影を作る。望遠鏡で拡大したようにくっきりと見える月は、眺めれば眺めるほど白い。気温が下がる季節になると「月だなあ」と思うことが増えるが、今年もよろしくそんな季節が訪れた。


心が理解するには時間が掛かる。
人を亡くした傍らで人の優しさを感じている。
まったくもって窺い知れぬ穴を埋めるのは
紛れもなく日々の優しさだと思った。

自分もまた人に優しくありたい。
しかし願えば叶うほどご都合よろしくもない。
それでまたベランダに出て月を眺める。
「月だなあ」と思ってまた部屋に戻る。


月だなあ、って。
まあー、なんと身も蓋もない。