読書をしている

‪心の中が散らかったときは、いつも読書をする。


内側に閉じる行為のなかでも「読書」は根本になるのもしれない。‬
‪録音していた菊地成孔のラジオを久しぶりに聴いた。たくさんのオンエアからシャッフルで選んだその放送回は、ちょうど海外の音楽ライブで銃乱射事件が起こった直後の「追悼」回だった。

放送で彼は、本というものを「自殺的であり他殺的である(が、音楽はその対極にある)」と表現していた。この放送はかつて聴いたことがある。が、この台詞を聴いたのは初めての感覚だった。しっかり聴き取ったというのは、それほど心に捕まるものがあったからだ。


本を読みたいと思うのは、読書する時間だけ、内側に閉じていたいからだ。イメージは睡眠に似ている。夜、ウジウジと悩んでいようと、朝に目が覚めるとすっかりクリアになっている。同じく、読書をすることで頭とは別の世界に想像が飛ぶ。その間に、頭の中では整理や掃除がされている。



いつの時にも読書はいいなと思えるが、しかし菊地成孔のあの言葉も共感する。本、もとい読書、もとい別の世界に飛ぶ行為は、危うい雰囲気を感じる。たくさんの他者が自分のイメージの中で生きていることが、奇妙な気にもなる。ドラッグに走る人間の、その業の、根本に触れた感じ。


あと、人と人との間では「会話が成り立たない」と感じることはたくさんある。複数人のなかで「独り」だと寂しく思うこともある。でも、読書にはそんな経験がない。



それは凄まじいことだと思う。
でも、やめられないんだよなあ。
読書やべえなあ。


以上、誰もが既に心のどこかで知っている話をしました。