燐光

昨日がこれで、今日がこれで、明日はこれ、と見立てる一方で、私は何ひとつ手を出せない。それは自然科学のようで社会学のようで哲学のようで、またそのいずれでもない。自然が緑であること、ひとつの現象が発生したこと、命があり精神があることは、たしかな言語をもって描写されるが、私たちの湧き上がる心象すら、私たちは知る由もない。

そういえばあの人は元気にしているかな、と思い出し、返す刀で元気にしている予想をつける。煙は吐くごとに溶け出し青空に希釈する。

青空のもとで生き続ける私たちは、おしなべて理由なくここにいる。言語は私たちの脆弱性を照射し、命に温もりを与え続ける。