親離れ

"ちょっとした驚きがあった。驚きとまた、ちょっとした安堵感。

facebook並みに放置をしていることでお馴染みのLINEのタイムラインに、せっかくだから何かを書こうと、先日、夜の母校の高校にふらっと立ち寄った話をした。すると、10分もしないうちに、反応が来たのだ。その反応のほとんどが、山吹生の人だった。一緒にあの高校にいた人たちだ。

卒業から何年経つかって、もう、4年にもなる。大学を卒業するかどうか、もしくは、社会にいよいよ馴染んでいく頃合いの、それほどの年月を私たちは経験したのだ。そりゃあ、それぞれの4年間があり、それぞれに、様々な書き換えや更新の機会があっただろう。それでも、ちょっとしたときに、「母校」というちょっとした点に、自ら吸い寄せられにいくのだ。それが、私にとっては驚きで、また安堵することなのだ。

年に1回、高校に立ち寄って、先生へご挨拶に伺う。そのときに、当時よく買っていた隣の弁当屋さん「まりっぺ」のからあげ弁当を、ちゃっかりゲットして、ちゃっかりラウンジで生徒の面をしてもぐもぐと食す。ときに、なぜだか涙が浮かんでしまう。悲しいとか、寂しいとか、そういう感傷的でうしろ向きな理由ではないのは知っている。これは、家に帰ってきたような、心穏やかになったときの涙なのだ。ほんの数十分だけの止まり木に、私が預けての涙だと。

ということも思い出したので、お世話になった先生に連絡をして、近々、山吹に伺うことにします。"


これを書いたのは、2017年10月2日。
今からちょうど2年前のこと。
この2年間で私を取り巻く環境は変わった。
いちばんは、なにより就職したこと。
社会の厳しさを痛感するうちに、ふてぶてしさとハングリー精神が強まっている気がした。
たとえこれがプラシーボとしても、病は気からという以上、期待が高まる。

今、母校に行く理由はない。
母校を求める気持ちも今は起こらない。
親離れ、ということで。