よだかの星

 よだかの星を食べました。
 ……との書き出しがいかにクサくてイタいかはよくわかりますが、これは表現描写のものでなくて、実際に口に運んだのだから仕方がない。

 


 ぴんときた方もいらっしゃるだろう。『よだかの星』とは、宮沢賢治の短編名だ。岩手に生まれ、愛を渇望し、そして布教に殉じた宮沢賢治の遺した作品のひとつにして、金字塔。一等星。祈りの愛。というか愛。誰も可愛くないのになんだか愛。作品中、主人公に向けられるものが誰にとっても愛ではないのに、読後感はまたひとつ性善説に賭けたい気になるから宮沢賢治は神。いくらでも褒められる。というか褒めているうちに1年を終えたい。
 何か、くじけそうになった時、自分自身で大切にしている信念(なんて大それたものでもないけれど)に疑いを抱いた時に、よく読み返す。詳しいストーリーは読んでいただきたい(のと、自分が読後感しか残らない読書をしているから紹介もなにもできない)。読んで。30分あれば読めるから。

 


 にしても、あの作品は短いわりに屈折感があって、なのに真っすぐにも思えてしまうのは、癪だ。気難しくて、嫌気も差して、でも避けることもできなくて、やりきれないままに生命力が満ちていく。
 主人公の境遇は、とにかく救われない。ストーリーが進むにつれ、救われることのない境遇に光が差すどころかいよいよ窮していくのだから、より救われない。遂に主人公は、人生への絶望感が絶頂へと到達する。そこからのスピードは加速に次ぐ加速。暴れ出す生命力は一筋の光となって、エンドロールへの全力疾走を遂げる。

 それだけ知ると「悲痛な物語なのだろうか」と感じるかもしれない。しかし、ここが不思議さと屈折さの妙味なところで、印象は、悲痛、というよりか哀愁に近い。
 全体に散りばめられた「さみしさ」風な共感が、主人公のみならず、愛のない登場人物にさえ抱いてしまう。読書をしながら、いつのまにか私自身について考えはじめている感じ。自らに問いかける。無言の返事。また問いかけるが、返事がないことが、最大の返事……。



 彼の周りにいる愛のない登場人物の面が、私自身、確かにある。
 かわいらしくも残酷で冷ややかな側面が、カードの一枚のごとく奥の奥の方に仕舞い込んである。
 私は主人公になりたいために読み直したのに、やはり、そんなものではなかったのか……。



 しかし、やはりそんなはずはなかった。主人公の身に注ぎ込まれぬままにあった「一筋の光」が、彼が祈るため叫ぶほどにあらわになり、やがて何処に何のため「光」があるのか、輪郭が見えてくるのだ。
 切実だ。読み進めるうちに味わう苦しみと快感は、計り知れない。にしても、残りページが減っていくうちに二律背反的に心が浮上していくなんて、ああやっぱり一筋縄ではいかないなあ!

 


 ラストの展開に圧倒されながらも、ページをめくる手は止まらない。めくるタイミングさえ吃りながらも作品を読み切っている私がいて、さらに完膚なきまでに打ちのめされる。はい、ここまでが『よだかの星』です。
 主人公に、私のどこかに、誰かのどこかに、遂にもたらされることのなかった「一筋の光」は、果たして何処にあったというのだろう。そんなメランコリーにあたった人のための、至上の処方箋。読んでください。そしてどうぞ、存分に打ちのめされてください。

 


 ちなみに、序盤で置き去りにしておりました食べられる方の『よだかの星』については、花巻市内のお店屋さんが販売しているそうなので、ぜひ調べて訪ねてみてください。せんべい風味なかりんとうと、味噌田楽かのごとくかかっている黒糖のたれが、すばらしくいいハーモニーを奏でておりますよ。
 なぜその和菓子を食したかというと、職場で先輩がおすそ分けして下さったのです。夕方近くの停止していた思考力には、たいへん素晴らしい効能がありました。この場を借りて御礼申し上げます。