テーマ創作:今世紀のある休日

「マンデリンがお好きと伺いましたから」と喫茶の店主が話しかけてきた。

エプロン姿の彼の右手にはコーヒー豆の袋が。100グラム何百円で売られている、持ち帰り用のものだ。「これ、どうぞ」と差し出された手が温かい。

「え、いいんですか」と遠慮がちに返事したものの、心の中では浮足立った。マンデリンはいい味がする代わりに、値が高い。よくそれをちらちらと見つつも、いつもブレンドを無難に購入する私のことを、よく見てくれていたのだろうか。

おずおずと受け取ったものの、そこからは演技もなく、意気揚々と残りのコーヒーをすすり、早々に店を出た。

 

しかし豆かあ。豆だったかあ。あとで気がついたが、私の家にコーヒーミルはまだない。ハンドドリップに凝りはじめたはいいものの、私なりに一線を引いているつもりだった。コーヒーミルを家に導入してしまったが最後、もう引き返せない泥沼に片足を入れてしまう、そんな予感がして、なかなか踏み出せない。踏み出したいと思わない時点で、私がまだ安全圏に漂っている証になっているようで、安堵している節もあった。

 

たとえば、カレー。辛くなければ好物だから、たまに作ってはひとりうきうきに食すことはあれど、ルーはスーパーマーケットに陳列されているものを選んでいるし、カレー粉やスパイスにまで手を出してしまうのは、なんだか違う気がしている。

 

テレビ番組で、「男の料理」を披露する俳優のドヤ顔を散見するが、彼の自宅の調理棚に陳列されているカラフルなスパイスの小瓶を見るたびに、もやもやした気になるし、彼の作る「男の料理」を食べてみたいな、という思いからいよいよ遠ざかっていく。彼の家に訪問したとき、きっとカレーを振る舞われるだろう。ただ、私が食べているそれは、「カレーの体をした男のドヤ顔」で、口に含んだ瞬間から、私の負けです、あなたは男の中の男です、と認めさすためだ。

 

ああ、そんな男になりたくない。そんな人間になりたくない。だから、コーヒーミル、どうしようかなあ、やめとこかなあ、と立ち止まっていたなかでの、私の片手にはゴツゴツした質感の、マンデリンの袋だ。どうしようかなあ。

 

 

とりあえず、喉が渇いた。さっきコーヒー飲んだばかりだけれど、それとこれとは違う渇き。コンビニに入り、冷蔵庫に並べられたペットボトル飲料のブースへ。あ、そうだ。ここの会員になっていたわ。たしか、クーポンがあった。なんだっけ、緑茶か、烏龍茶か、フツーに天然水か。軟水だったらいいなあ。

 

スマホを開く。アプリを立ち上げる。100円のクーポンは、あろうことか、炭酸飲料だった。炭酸かー!飲まねー!そういう文化が私にねえー! がっかり。だが、160円が100円になることは大きな魅力だった。その割引に見合うゴネりでも落胆でもなかった。

 

仕方がない。これにしよう。レジに持っていく途中で手から滑り落ちて、これをそのままいけ好かない奴にプレゼントしてやろうか、と思いつく。そのための100円だったら喜んで支払ってやる。 バーコードを店員にかざし、無事にどうでもいい炭酸飲料は私のものになった。

 

と、その数秒後に、スマホが鳴動した。 「クーポン届きました!」 おうおうなんだ、次はどんな炭酸だ?コーラか?ペプシか?三ツ矢か? と凄まじく喧嘩腰になりつつ表示を見る。

 

カレールー。グリーンカレー。コンビニのプライベートブランドのもの。新商品らしい。 知らんがな、と、えっそっち?との二重の肩透かしに、またも着火の音がした。ああそうですか、買ってやるわ。

 

歩き始めて5、6分、同じ系列のコンビニが姿を現した。ふん。入ってやる。このコンビニのプライベートブランドは、味がよく評判がいい。かくいう私も、よく手にとっては気まぐれにもそもそと食している。で、そのなかから、グリーンカレー……。ほんと、辛いものは苦手なんだよなあ。でも、50円引きには敵わない。直線距離で入店からグリーンカレー、そしてレジへと導線を描く。 ……

 

 

そういえば、あの子、辛いものが好きとかインド料理が好きとか、東南アジアに旅したい、とか、そんなことを言っていた、かな?

 

 

無駄にふたつもコンビニのレジ袋を片手に、しかも重たいマンデリンまで持って、妙にアンバランスな心地を抱きながら、帰路につく。ああ面倒くせえ。面倒くせえなあ。Amazonでコーヒーミルを買うか。買っていいや。

 

あの子にLINEでもしよう。こんど、また会おうよ、いつ空いてる? 濃いコーヒーと辛口カレーでシャンパンファイトしない?

 

で、Amazonのアプリを開くでしょう? トップページにでかでかとあったのは、サガミオリジナルのうっすいうっすいアレ。ああ!バカじゃあねえの!

 

 

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テーマを頂きました。

「手間をかける」

「不規則性」

「コンビニ」