発展的に生きてほしい

 けたたましい音楽を耳から直接にねじ込み、他のあらゆる思考をかき消す。もはや私は今まさに流しているサニーデイ・サービスの盲信者になったふりをして、実際は、信仰の方角をあらぬ場所へと向けている。明日も生きたい、明後日も生きたい。生きる利点づくりをせっせとこしらえるため、私は余分な思考をイヤホンからの音のシャワーで消毒したつもり。
 間違いだらけの四半世紀に正誤をつける意味はなく、間違いだらけの四半世紀にわずかばかりの喜びとあほらしさを加算できれば、私は意味なく生きていけるだろうか。今日もよくって、昨日も上等、一昨日なんか大金星。とかなんとか言って聞かせて、私の失った気でいる四半世紀を、現在からの人生で上書きできるだろうか。きっと今この瞬間にも私は動体で、向かうべき先へと進んでいると、受容し得る理性と知性、そして感情とを持ち合わせているはず。2018年の私はたいそう発展的に生きている、と、もう少しだけ、心の底から思いたいのです。