大雪警報の年

 東京の冬が、力をつけてきた。
 この街の冬は、1月も更けていくころになって、ようやく本領発揮のときを迎える。もちろん、枯葉が道に落ちて、すばやく掃かれ、やがてなにもなくなったころに、冬はやってくる。たえず乾いて冷たい、かたい風が、ビルの谷間を突き抜ける。酒で上気立つ頬を、容赦なく刺し続ける。電車待ちの列の足元にさんざん絡みついて、離れない。身を縮ませる空気。情けもなしに力を吸い取る風。「東京・冬の陣」は、ただただ耐え忍ぶほかない。
 しかし、このごろになると、冬のにおいもかわってくる。それまでの乾いたかたい空気は、どこかへと抜けて、代わりにきたものは、じめっとした、密度の高い水のにおいをたくさんに閉じこめた空気だ。雨を、雪を街に降らせるその空気が、東京の空をおおい尽くす。春はすぐそこだ、あとひといき、と安堵する一歩ほど前のところで、東京の冬は最盛期をむかえるのだ。

 


 事業所の窓からは、羽毛のような雪が舞いはじめた。と、いっとき目を離したすきに、はらはらと落ちていたはずの雪が、ひとまとまりになって、急降下をしながら、次々と窓の外を白く染めていった。おそらく、このペースでは、街中が降り積もるまでに時間はかからないだろう。大雪になりそうだ。数年前、東京を20センチ以上の雪がおそったことがあったらしい。が、そのころの記憶が、あまりにも遠い。おぼろげで、本当にあっただろうか、と、疑うほどだ。ただ、ひとつ、なぜだかよく憶えている情景があった。
 それは私が大学生だったころ。暖房をせっせときかせた教室で、授業を受けていた。1限。朝一番。ひときわ寒い1日の、最も凍てつく時間だ。しかも必修の授業であったため、内容にも興味がわかない。この悪条件(と私の怠惰)が揃えば、退屈に退屈が重なることも当然で、90分間でとびぬけて目をやらなかったのは、ひょっとすると、黒板かもしれない。
 長丁場にうんざりしていたなか、窓の外が、ぼんやりと明るいことに気付き、目をやった。それは太陽のまぶしさとは異なるものだった。むしろ、隠れたはずの月が照らす、静かなともしびに近い。しかもこの日は、太陽が厚い雲におおわれていて、光がくすんで届くだけなのだ。目をこらすと、シュガーパウダーのような細かい雪が、荒い風を受けて舞っていたのだ。激しく舞う雪と、その背後で白さをましていくキャンパス。いよいよ雪景色は堂に入ったものになり、窓はますます白く明るくなっていった。

 


 今日の雪は、その年に引けをとらない、猛烈なものになるらしい。その年ぶりの大雪警報が、23区に発令された。事業所では、終了時間まで待たず、早退することを認める案内がきた。ぱらぱらと帰宅する訓練生たち。私も帰ることにした。外に出ると、すでに道には雪が積もりはじめていた。このペースでは、翌朝は一苦労しそうだ。
 そういえば、あの年は、どうやって大学まで通ったんだっけ。そもそも、大学は開いていたんだっけ。大学のこと、思い出すのも変な感じだ。とっくの昔のことにした。