夏が終わり始め、秋が始まる予感の季節

汗をかいても読書をしても収まりが悪くて、とにかく何をするのが居心地いいのかわからない。


夏が終わり始める。
若々しかった青葉は突端から色づき始め、窓際の17時は、昨日より今日、今日より明日と影が伸びてゆく。北回りの風がいつもよりカラッとしていて、水分ごと殴ってきたようなあのころの勢いが寂しい。


銭湯上がり、いつにも増して汚れが落ちすぎた。
夏の終わりと秋の終わりの隙間に入り込む季節は苦手だ。

そんなことを言ってるうちに、こんな不安定な季節、今年もまた味わえませんね。

対岸

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精神病って、精神世界の「ここ」と「あそこ」との橋が掛かる瞬間でもあるから、罹患とともに、これまでひとつしかなかった世界に対岸の世界が生まれることになる。精神の大いなるパラダイムシフト。メランコリーの深淵と悲哀。今立っている「ここ」は「こっち側」だった、と図らずも知らされる。

橋の「あっち側」には濃い"もや"のかかった不気味さのみが見えるばかり。「在る」けど「不在」な向こう側がつねに視界に入りながら、渡るか否か不安定さのなか生きることになる。


日々、対岸の存在を気にしている。
何も見えないあそこには何があるのだろう。


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夜。
赤羽を発った宇都宮線は荒川を越える。
そこは東京と埼玉との境界である。
鉄橋をけたたましく行きながら、湿度の高く密集した赤羽の街から、すぐに光の消えた車窓へ変わる。鬱蒼と繁る草地の間を河川が悠々と横たわり、川面の先には月が浮かぶ。景色のなか唯一の光が波紋に揺れていた。生い茂る草が風に騒ぐように四方に雪崩れている。

河川敷を越えると、すぐに川口の街に入る。
赤羽をトレースしたような密集した街並みを、何もなかったかのように、颯爽と過ぎていく。


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今週も働く。
今週は週4勤務。
残りの1日は診察日だ。

色々と実務的な脳を働かせてせっせと働いているが、長時間とはいかず、適宜休憩をとっている。
場所を移動し、別階のフロアの椅子に腰掛けると、スーッと心が落ち着いていく。吹かしに吹かしくさったエンジンが徐々にゆったりと動きを緩めてくれる。ホッとする。なんとも言えない脱力感がむしろ充電を後押しするのは不思議だ。

眼下には、無数のビルを縫うように首都高が伸び、そこを幾多のトラックや乗用車が絶えず行き交っている。
今、視界に入るだけでも、多くの人が運転している。
物資を運んでいる者もいれば、客を乗せて目的地を目指す者もいる。社用車で取引先へ向かう者もこのなかにいるだろう。

みんな働いている。
その中には俺もいるんだが、
その瞬間は、なんだか少し遊離した場所にいるようだった。


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そのときイヤホンで聴いていた深夜ラジオの馬鹿馬鹿しさよ

数年前、いかんともしがたい夜に、
「じゃあいっそ自転車乗っちゃう?」と、
寝静まった実家のドアを静かに開け、
ひとり自転車で都心を走りまくった。


とにかく坂が多くて飽きることはなかった。
長い下り坂はスリリングでよかった。
深夜、中心部は東京でもっとも暗い街になる。

銀座まで行くと坂はなく、
数時間前までは煌びやかだったであろうショーウィンドウ。
必要最低限の照明がむしろ生々しかった。


汗が冷えてきたのと同時に現実的な気持ちが返ってきて、
明日に備えて帰路に着いた。
上り坂が続きまた汗をかく。
背後から空が白んでゆく。
車の往来が増え、
暗闇で見えなかった泥酔者たちが
ところどころで路上で干からびていた。


帰るころには朝になっていた。

【本の感想】『ROLLER SKATE PARK』 小幡玲央・著

『ROLLER SKATE PARK』
小幡玲央・著



大学生だった頃の記憶と匂いを残し東京で日々を送りつつ、自身の内面下につぶやきを投じ、少し虚しい水面の波紋を写実的に描写する——。

本書は、20ページというボリュームのなかで、8篇のざらついた生の述懐が収録されている。この20ページという薄めといえるzineには、凄まじい威力がある。他人事とは思えない胸のざわつきを覚えた。
なぜだろう。



『DJ PATSATの日記 Vol.2』というzineを数ヶ月前に読んだときも、そんな思いになった。
筆者は、大阪・淡路で音楽と自転車、そしてzineを販売している『タラウマラ』の店主、土井政司氏。
zineの凄みというのは、市井を生きるひとりの綴る言葉が、同じく市井を生きるひとりの読み手に受け取られる点だ。

この人のzineは、とにかく防御物を一切身に纏わず、常に攻めの姿勢を崩さない。自分のため、家族のため、周囲のため、そして未だ知らぬ誰かのために。
そして、未だ知らぬ誰かのひとりである私は、読後、自問が止むことはなかった。


「お前はどうだ?」



話は戻り。
本書は、東京と、東京「的なもの」にすり減らされつつ、流されそうになりつつ、屹立している。澱みと虚さを抱えこみながら、抗っている。筆者自身でも、もしかすると、明確な理由はもたずに、しかしながら屹立し抗い続けるのかもしれない。
そんな本書の姿はまさに筆者であり、それぞれに感ずる読者一人ひとりでもあった。


しかし。
一人ひとりには、それぞれに場所や仕事(生産と消費の成員となる!)があり、それに応じたカラーを身に纏って、日々生きていく。
私も、仕事をしてきて、それぞれにカラーがあり、すでに自分も選び始めている。
他方、カラーを知ってしまうと、「まだよくわからない」「無色透明」で「不安定」な状態にはなかなか戻れない。もはや虚しさに慣れ、うまくダシにしてしまったのだ。
そんななかで、本書はまるでグレーがかった透明色として、不気味で無機質、心に低温やけどを促すような「東京(的なもの)」の姿を捉える。読者は何を思うか。どんな防御物も貫通させる本書の念は、私たちになにを影響さすだろう。



どこかの場所で今日も生きている人が書いた作品は、いろんなバリアや身に纏うカラーを鋭利に突き破って、胸のうちに刺してくる。
たしかにプロ野球のピッチャーが投げた豪速球が如何に凄まじいものかを知るのは、相対し受け止めるキャッチャーのミットの感触と手のしびれに勝るものはない。

それにしたって、
「想い」がダイレクトに向かってくるのはなぜだろう。



読後、自分自身への問いかけは続く。
もちろん、安易に簡便な結論を出す必要はない。

「お前はどうだ?」

2022/09/27 夢を見た

仕事終わりの秋の風はたまらなく気持ちがいい。
遠く西の空が繊細に色づく。

帰りの電車で眠気に揺られ、瞼が重たくなるたびに、今朝見た夢がプレイバックされた。



西九州新幹線が開通した町で、子どもたちが、新幹線がやってくるのを今か今かと待っていた。


あのね、
新幹線の赤は、
いちご色なんだよ。
キャッキャと笑い合う子どもたちのそばを、
新幹線かもめ1号が駆け抜けた。



そんなテレビのニュースを、
ついに一度も練習せずに
ピアノ発表会を明日に迎えた俺が、
焦燥感と諦めを混ぜ合わせたような顔で
煎餅を齧りながらぼんやり眺めていた———。



なんじゃこりゃ。

関係ないけど、昨日、
初めて金木犀の匂いを嗅いだ。

2022/09/17 祖父の四十九日

祖父の四十九日法要のため、日帰りで盛岡へ。
盛岡はホームに降り立つ瞬間、きれいな緑の匂いがする。
対比で、東京の空気の汚れに気づく。



タクシーで寺に着く。
寡黙な運転手。


気温は高いが、あまり蒸さないぶん、まだ楽だ。
四十九日法要。マスクにお香の煙が染み込む。
焼香はいつまでも慣れない。
あのぎこちない所作の間だけは、亡き祖父に想いを馳せる余裕がない。


和尚の読み間違いと、咳き込む音、少しずつ早まる木魚のBPM
読経のわずかな無音に、扇風機の羽音がよく目立つ。
一定のリズムで風速が強弱を繰り返すが、首振り機能の運が悪く、ずっと微弱な冷風が届く羽目になった。

遠く蚊取り線香の匂い。
外の庭園は青々と盛っていた。



疲れたな。
朝一番で東京を発ち、夜には東京へ戻ってきた。
東京駅に着くや否や、埃くささと湿気がマスク越しに襲いかかる。
往復4時間ほど、ただただ座席に座っていただけなのに、長距離移動の疲れがのしかかるのはなぜだろう。
身体は、果てしない移動距離をちゃんと理解している?



四十九日。
祖父の長い旅路の果てには、3年前に先立った祖母が待っているのだろうか。
この目で知るのは、何十年も先のことでありたい。

2022/08/08 木村リュウジ

今日は友人の誕生日だ。
私にとっては大学の友人。
外に目を向けると、
彼は新進気鋭の若手俳人


木村リュウジ。


彼の俳句とその姿勢や気概は、
いつか、俳句界の未来を開拓するような
才能ある俳人へと育ってゆくだろう。
そんな期待さえ上がる、その人生の一歩を、
彼は踏み出そうとしていた。



彼は宮崎斗士を尊敬していた。
俳句は私は明るくないが、
彼と会うたびに、宮崎斗士の俳句の良さを語ってくれた。
惹かれる句ばかりだった。
憧れ、挑む心が芽生える気持ちもよく分かった。



大学卒業から、彼は神経症を患い、闘病した。
彼のブログには、病状が克明に記録されている。
ryjkmr1.hatenablog.com



特筆すべきは、感情に訴えることのみに終始せず、
むしろなるべく除けていき、必要な情報を正確に伝えることを意識している点だ。
正しく情報を伝えることの価値を、論理の力を信じる彼の姿勢を体現していた。



感情が心に訴えるが、
人間に必要なのは、論理ではなかろうか。
感情あっての論理というが、
論理あっての感情なのではないだろうか。

と、訴え続けていた彼が、心を患うというのは、一体、どれほどの苦しみだったのであろうか。


最後に会ったのは、1年前の8月9日。
写真を撮って欲しい、と依頼され、大学敷地裏手にある自然公園で彼を撮影した。
若々しく爽やかな表情をしていた。
その後、新人賞記念の『海源第32号』が自宅に郵送され、
掲載ページには、彼らしい写真が載っていた。



彼の所属していた俳句結社『海源』には
今は亡き木村リュウジへの追想が、彼の俳句とともにホームページに公開されている。
執筆者は、彼が憧れ焦がれた宮崎斗士。
液晶画面の前で、首を垂れる。


kaigen.art