Cream Lemon Soda

昔の夢をみました

月(2019)

‪心が理解するには時間が掛かる。


緊張の糸が張る状況とは、何らかの防衛本能を立ち上げる場面だ。自分にとっての踏み込めない場所は、おそらくは誰にとっても不可侵な領域なのだと思っている。

人が亡くなるのは誰にとっても分からない。


とはいえ張り詰めるのも疲れてくる。
今夜布団に入り込み、録音した深夜ラジオを聴いた。ほぼ毎日聴いていたとはいえ、パーソナリティのトークが「人の会話」に思えたのは今夜が久々のこと。心のひだに触れるようなトーク……と言うにはあまりに下ネタが炸裂している。ケラケラ。

ベランダに出ると夜風が冷たく感じられた。もう冬は近い。と呟くのはやや牧歌的だった。ほぼ今は冬の夜なのだ。月が冴えている。月光が影を作る。望遠鏡で拡大したようにくっきりと見える月は、眺めれば眺めるほど白い。気温が下がる季節になると「月だなあ」と思うことが増えるが、今年もよろしくそんな季節が訪れた。


心が理解するには時間が掛かる。
人を亡くした傍らで人の優しさを感じている。
まったくもって窺い知れぬ穴を埋めるのは
紛れもなく日々の優しさだと思った。

自分もまた人に優しくありたい。
しかし願えば叶うほどご都合よろしくもない。
それでまたベランダに出て月を眺める。
「月だなあ」と思ってまた部屋に戻る。


月だなあ、って。
まあー、なんと身も蓋もない。

東京に帰る

2019/11/14

盛岡から戻りました。
祖母を無事送ることができました。
悔いはありません。


盛岡はマスクを外すと空気が澄んでいました。
雫石川を眼下に通夜を行い、
通夜払いでは、久々にお会いした親戚と
岩手の酒「あさびらき」を何本も空けました。

そのとき、ある音源を会場に流しました。
数年前に自身の生い立ちを聞いた時のものです。
亡骸のそばに祖母の声、
本当に眠っているように思えました。
今でもそんな思いがするのは、
まさに身体が失くなる前夜だからでしょうか。

盛岡の秋は寒く感じます。
翌朝は手足が冷えました。
雨がしとしと降るなか、火葬。
1,000℃を超えて焼かれている想像とともに
窓から見える木々が赤く染め上がり
強風に晒された様子を眺めていました。
火葬を終え、骨を拾い、
こんなに小さな骨壺に収まるのかと。
それ以上の考えは浮かばず、
しばらく骨壺を見つめていました。

通夜の実感はこのとき確信に変わりました。
身体が失くなるというのは
もう実感を得られないということなのですが
却ってどんなときにもそばにいる
そういう思いにもさせるのだと。
身体が失くなるというのは、
残された人が、
故人を自由に想えることなのでしょうか。


東京は空気がガスっぽく、
ビル群が密集しています。
生まれ育った街のこの匂いは安心します。
ただいま戻りました。
仕事とピアノ、生活に戻ります。

盛岡へ

2019/11/12

祖母が亡くなった。昨晩、その報せを受けてなぜか銀杏BOYZを聴いた。滅多にないがスピーカーと一緒に歌う。
明日から盛岡へ。寒いらしい。コートも用意した。思い出すことは数多ある。念のためiPadとキーボードを持っていく。

朝、考えごとをしながら鮭を食べたら小骨が喉に刺さり、家中のピンセットを血眼になって探した。どさくさに紛れたように船橋の祖父母に線香をたてた。風邪に治りかけの喉が煙に咽せた。どさくさ祭りの朝だ。

父の知人がやっている旅館では、ワンちゃんがいるらしい。撮りたい。一眼レフを職場から持ち帰った。五反田のエスカレーターで鞄ごと落とす。無事。肝を冷やした。

案外、こういう時は何としてでもしんみりさせないように出来ている。正負の法則。行ってきます。

眠りの色をつける

先週から日記をつけている。

寝る手前に静かな部屋で分厚い日記にペンを走らせる。朝からの出来事を振り返って順々に現在へ遡上していくと、現在に近付くまでの道のりが遠く感じられた。どこを摘んで書こうか考えながら進み、大きめなイベントには熱を入れ書いていく。

振り返りが夕方過ぎたころようやくホッとして、「あとは寝るだけ」みたいな言葉で締めくくる。



友人に貰ったカモミールを飲む。入眠が不得手な自分の夜の習慣になった。

このカモミールは不思議なタイプ。ドライフラワー? なんと湿気のない花弁が茶葉になるのだ。青紫の花弁を幾つかカップに入れる。熱湯を注ぐと、カップが青い色でいっぱいに。青紫の花弁からお湯に色が移って、希釈されたのちコバルトブルー? まるで南国の海の色になるのだ。

しかしこんなにも目も覚めるような鮮やかなこの色が、とても夜に似合う。肌寒くなった夜にはより一層。


日記をつけたあとに飲むとよく眠れることが、最近よくわかった。

台風19号に想う

動悸が強まりながら、情報を集め続けた。河川の氾濫状況、ダムの貯水量、台風の進路。
頭が金切り声を上げる寸前まで、想像し続けた。最悪のシナリオが通り過ぎたあとの東京の光景、目黒川を目の前にある職場、今後の生活。


嵐が去ったあと、窓を数センチ開けた。秋めく褐色の空気がして、台風の恐怖も今この時も、幻の中にいたのかもしれない。しかし生活はどんな時にも常に横たわり、この紛れもない現実を映し出す。遠くの街では水浸しに嘆く傍ら、生まれ育ったこの街に吹く風は叙情そのもの。


ある人を想おう。架空の人でもいい、想像しよう。痛みと悲しみを抱えながら、不意に濡れた落ち葉の香りがひゅっと吹いて、やるせない笑みを浮かべるほかない人を、毎日想おう。


今まさに北日本を雨風吹き荒れる下、恐怖に怯える者のどこかに、必ず私が存在しているのだから。

親離れ

"ちょっとした驚きがあった。驚きとまた、ちょっとした安堵感。

facebook並みに放置をしていることでお馴染みのLINEのタイムラインに、せっかくだから何かを書こうと、先日、夜の母校の高校にふらっと立ち寄った話をした。すると、10分もしないうちに、反応が来たのだ。その反応のほとんどが、山吹生の人だった。一緒にあの高校にいた人たちだ。

卒業から何年経つかって、もう、4年にもなる。大学を卒業するかどうか、もしくは、社会にいよいよ馴染んでいく頃合いの、それほどの年月を私たちは経験したのだ。そりゃあ、それぞれの4年間があり、それぞれに、様々な書き換えや更新の機会があっただろう。それでも、ちょっとしたときに、「母校」というちょっとした点に、自ら吸い寄せられにいくのだ。それが、私にとっては驚きで、また安堵することなのだ。

年に1回、高校に立ち寄って、先生へご挨拶に伺う。そのときに、当時よく買っていた隣の弁当屋さん「まりっぺ」のからあげ弁当を、ちゃっかりゲットして、ちゃっかりラウンジで生徒の面をしてもぐもぐと食す。ときに、なぜだか涙が浮かんでしまう。悲しいとか、寂しいとか、そういう感傷的でうしろ向きな理由ではないのは知っている。これは、家に帰ってきたような、心穏やかになったときの涙なのだ。ほんの数十分だけの止まり木に、私が預けての涙だと。

ということも思い出したので、お世話になった先生に連絡をして、近々、山吹に伺うことにします。"


これを書いたのは、2017年10月2日。
今からちょうど2年前のこと。
この2年間で私を取り巻く環境は変わった。
いちばんは、なにより就職したこと。
社会の厳しさを痛感するうちに、ふてぶてしさとハングリー精神が強まっている気がした。
たとえこれがプラシーボとしても、病は気からという以上、期待が高まる。

今、母校に行く理由はない。
母校を求める気持ちも今は起こらない。
親離れ、ということで。

【散文詩】硝子

朝霧にかかる灰が
車窓から薄桃色の街を映しだし
煙突から浅緑の煙がのぼる


電波塔から発された電子の粒が
やがて雨となり街に降り注ぐ




割れた硝子の一片を拾い上げた


丘の先はまた丘
苺畑を抜け葡萄は香り
辿り着いた白樺の森
私は今もここにいる



枝垂れ柳の葉先を遊ぶ風に
艶やかな光の流線が見えた
これは私の信じた光
母の面影



濃霧は緑
電子の雨
絶え間なく香り
絶え間なく知る

尖る硝子の冷たさを



打上花火
しなだれた火の粉と
空気中に焦げた煙の匂いが残った


掌に一欠片の硝子